はじめに

この聖書研究の教材を出版するために私を用いてくださった主に、感謝と賛美と栄光を捧げます。私は、主が私に与えてくださった知恵に従って、膨大な神の御言葉を理解しやすいように整理しただけです。ですから、この教材は私たちの主に属するものであり、信仰者として生まれ変わり成長したいと願うすべての人に、主が惜しみなく与えてくださる贈り物であることを宣言します。

私はこれまで、さまざまな聖書研究教材を使って会衆に教えてきました。しかし、いつも一つの疑問が心に残っていました。何が本当に変わったのでしょうか?福音は複雑でも難しくもありません。そこで、神が私に与えてくださった賜物を用いて、この学習教材を企画しました。信者が福音を正確に理解する助けとなり、自分の人生に適用すれば、A+の信者として主から称賛されると確信しています。重要なのは、この教材はすべて聖書に基づいているため、一度勉強しただけでは自分のものにはならないということです。ですから、繰り返し読み、他の人と内容を分かち合うことをお勧めします。

本教材の構成はすべて質問形式になっており、聖書の中にしかない答えが用意されています。さらに、個人的な考察のためのスペースが設けられており、それぞれの答えをじっくりと考えることができます。この教材を学ぶすべての人が、完全なクリスチャンに成長し、私たちの主イエス・キリストから賛美を受けることを願っています。

A.神の完璧な創造

1.完璧を求める神

申命記18:13あなたがたは、あなたがたの神、主の前に罪のない者となりなさい。

1ペテロ1:15-16“しかし、あなたがたを召した方が聖なる方であるように、あなたがたもすべての行いにおいて聖なる者となりなさい。”わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者となりなさい “と書いてあるのですから」。

マタイ5:48だから、あなたがたも、天の父が完全であるように、完全でなければなりません。

ヨハネ17:19-23 そして、彼らのためにも、彼らが真理によって聖なる者とされるために、わたしは自分を奉献します。父であるあなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、彼らもまたわたしたちのうちにいます。それは、私たちが一つであるように、彼らも一つとなるためであり、また、私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるように、彼らが完全に一つとなるためです。
エペソ 4:11-15また、使徒たち、預言者たち、伝道者たち、牧者たち、教師たちをお与えになったのは、キリストのからだを築き上げるために、宣教の務めを果たすために聖徒たちを整えさせるためであり、また、わたしたちが皆、信仰の一致と神の御子を知る知識の一致とに達するためなのです、そうすれば、私たちはもはや、波に翻弄され、あらゆる教理の風に流され、人間的な狡猾さや、人を欺く策略に惑わされる子どもではなくなります。むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらである方、すなわちキリストに向かって成長するのです。
ヘブル6:1-2ですから、私たちは、キリストの初歩的な教理を離れ、死んだ行いからの悔い改めと神への信仰、また、洗礼、按手、死者の復活、永遠の裁きについての教えの土台を再び築かずに、成熟へと進んでいきましょう。

コロサイ1:28-29私たちは、この方を宣べ伝え、すべての人に警告し、あらゆる知恵をもってすべての人に教え、キリストにあって成熟した者となるようにしています。このために、わたしは、主がわたしのうちに力強く働かせてくださる主のすべての力を尽くして奮闘しています。

エペソ4:11そして、使徒たち、預言者たち、伝道者たち、羊飼いたち、教師たちをお与えになりました。

2 テモテ3:16-17聖書はすべて神から吹き出されたもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とに有益です。

2 コリント 12:9しかし、主は私に言われました。”わたしの恵みは、あなたがたに十分です。ですから、キリストの力が私の上にとどまるように、私は自分の弱さをいっそう喜んで誇ります。
ヘブル2:10それは、万物がそのために、また、万物によって存在する方が、多くの子らを栄光に導き入れるにあたって、その救いの創始者を苦しみによって完全な者とされるのがふさわしいからです。
ヘブル5:8-9子でありながら、苦しみを受けて従順を学びました。そして、完全な者とされたので、彼に従うすべての人に対する永遠の救いの源となったのです。
ヤコブ1:2-4兄弟たちよ、いろいろな試練に会うことを喜びと思いなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けるところのない完全な者となるのです。
1 ペテロ 5:10そして、あなたがたが少し苦しんだ後には、キリストにあって永遠の栄光のためにあなたがたを召してくださった、すべての恵みの神が、自らあなたがたを回復し、確かめ、強め、堅固にしてくださいます。

ヤコブ2:22あなたがたは、信仰がその業とともに活動し、信仰がその業によって完成されたことをご存じでしょう。

τέλειος(テレイオス):聖書では、完全、成熟、目的に達した状態を意味し、しばしば霊的・道徳的成熟に関連します。この言葉は、単に欠点がないというだけでなく、信仰において霊的に完全な状態へと成長することを意味します。

2.私を創造し、使命を与えた神

創世記 1:1初めに、神は天と地を創造されました。
1 コリント 8:6しかし、私たちには、父である唯一の神がおられ、父から万物が生じ、そのために私たちが存在し、主であるイエス・キリストがおられます。

ヨハネ1:1-31 初めにことばがあり、ことばは神とともにあり、ことばは神でした。2 彼は神とともに初めにいました。3 すべてのものは、この方によって造られたのです。
コロサイ 1:16この方によって、天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも目に見えないものも、王座も支配権も統治権も権威も、すべてのものが造られたのです。
ヘブル1:1-2 1 神は、昔、いろいろな時に、いろいろな方法で、預言者たちによって先祖たちに語られましたが、2 この終わりの日には、御子によって私たちに語られました。

創世記1:11神は言われた、”地に草木が生え、植物が種を実らせ、果樹がその種になる実を実らせ、それぞれその種類にしたがって地に実らせよ”。そのとおりであった」。
創世記1:21 そこで神は、大海の生き物と、水に群がる動くすべての生き物を、その種類にしたがって創造し、翼のあるすべての鳥を、その種類にしたがって創造されました。そして神は、それが良いものであることをご覧になった。
創世記1:24神は言われた、”地はその種類にしたがって生き物を生み、家畜、這うもの、地の獣をその種類にしたがって生めよ”。そのとおりであった」。

詩篇100:3主が神であることを知りなさい!私たちを造られたのは主であり、私たちは主の民、主の牧場の羊です。

ヨブ記 10:10あなたはわたしを乳のように注ぎ、チーズのように凝らさなかったのですか。11 あなたはわたしに皮と肉を着せ、骨と筋とでわたしを結ばれました。12 あなたはわたしにいのちと堅固な愛を与え、あなたの心づかいがわたしの霊を保ってくださいました。18「なぜ、わたしを胎から出されたのですか。だれかがわたしを見る前に、わたしが死んでいればよかったのに。”
詩篇139:13あなたはわたしの内なる部分を形づくり、わたしの母の胎内でわたしを結ばれたからです。
イザヤ44:2あなたを造られた主はこう仰せられる:わたしのしもべヤコブよ、わたしが選んだエシュルンよ、恐れるな。
イザヤ64:8しかし今、主よ、あなたはわたしたちの父、わたしたちは粘土、あなたは陶器師、わたしたちはみな、あなたの御手のわざです。

詩篇33:15彼らのすべての心を造り、彼らのすべての行いをご覧になる方。

ゼカリヤ12:1イスラエルに関する主の言葉の託宣:天を張り、地を築き、その内に人の霊を造られた主は、こう宣言されます。

箴言27:19水に顔が映るように、人の心はその人を映します。

エレミヤ1:5わたしは胎内であなたを形造る前からあなたを知っており、生まれる前からあなたを聖別し、諸国民への預言者に任命しました。

創世記1:31 神は造られたすべてのものをご覧になった。夕べがあり、朝があった、六日目。

イザヤ46:3ヤコブの家よ、イスラエルの家のすべての残党よ、わたしに聞け。わたしが造り、わたしが負い、わたしが担い、わたしが救う。

ゼパニヤ3:17 あなたがたの神、主は、あなたがたのただ中におられ、救う力ある方です。主は、喜びをもってあなたがたを喜ばせ、その愛によってあなたがたを静め、大声で歌いながら、あなたがたを喜ばせてくださいます。

創世記1:28「神は彼らを祝福されました。そして神は彼らに言われた、『実を結んで増え、地に満ちてこれを治め、海の魚、天の鳥、地を動くすべての生き物を支配しなさい』」。

20 その目に見えない属性、すなわち、その永遠の力と神性とは、天地創造のときから、造られた物の中にはっきりと示されていたからです。彼らは、神を知っていたにもかかわらず、神を神として敬うことも、神に感謝することもせず、考えることをむなしくし、愚かな心を暗くしました。

マタイ6:26-30空の鳥を見なさい。彼らは種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋に集めることもしないのに、あなたがたの天の父は彼らを養っておられます。なのに、あなたがたの天の父は、彼らを養っておられるのです。あなたがたは、彼らよりも価値があるのではありませんか。畑の百合を考えてみなさい。彼らは労することもなく、紡ぐこともなく、29 しかし、あなたがたに告げますが、栄華を極めたソロモンでさえ、このような服装はしていませんでした30 しかし、もし神が、今日は生きていて、明日はかまどに投げ込まれる畑の草に、このように服を着せてくださるなら、信仰の薄い者よ、あなたがたに、もっと多くの服を着せてくださるではありませんか。

マタイ10:29二羽の雀が一銭で売られているではないですか。あなたの父から離れては、一羽も地に落ちません。

詩篇19:2日ごとにことばを語り、夜ごとに知識を現す。3 声が聞かれないことばはなく、ことばもない。彼らのうちに、彼は太陽のために天幕を張ります。

20被造物が無益なものに服従させられたのは、進んで服従させられたのではなく、服従させた方のゆえに、被造物自身が腐敗の束縛から解き放たれて、神の子たちの栄光の自由を得ることを望んで21いたからです。

3.神のイメージと服従の関係

創世記1:26そこで神は言われた、「われわれに似せて人を造ろう。そして彼らに、海の魚、天の鳥、家畜、全地、地を這うすべてのものを支配させよう」27 そこで神は、神のかたちに人を創造されました。

ヨハネ1:14 “そして、みことばは肉となって私たちの間に住まわれ、私たちはその栄光を見ました。” “その栄光は、父から来られた独り子の栄光であり、恵みとまことに満ちていました。”
2コリント4:4“彼らの場合、この世の神が不信心な人々の心を盲目にし、神のかたちであるキリストの栄光の福音の光を見させないようにしているのです。”
コロサイ1:15彼は見えない神のかたちであり、すべての被造物の長子です。16 この方によって、天においても地においても、見えるものも見えないものも、王座も支配権も支配者も権威も、すべてのものが造られたのです。彼は初めであり、死者の中から最初に生まれた者です。

ヨハネ14:7あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。8 フィリポは彼に言った、「主よ、父を見せてください。わたしを見た者は、父を見たのです。わたしは父のうちにおり、父はわたしのうちにおられるということを、信じないのですか。わたしがあなたがたに言う言葉は、わたしが自分の権威で語るのではなく、わたしのうちに宿っておられる父がそのわざを行われるのです。”

ヨハネ14:7あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。8 フィリポは彼に言った、「主よ、父を見せてください。わたしを見た者は、父を見たのです。わたしは父のうちにおり、父はわたしのうちにおられるということを、信じないのですか。わたしがあなたがたに言う言葉は、わたしが自分の権威で語るのではなく、わたしのうちに宿っておられる父がそのわざを行われるのです。
ヨハネ8:28そこで、イエスは彼らに言われた、”あなたがたは、人の子を上げたとき、わたしがその人であることを知るでしょう。” “わたしは、自分の権威で何もせず、父がわたしに教えられたとおりに話しているのです。”
ヨハネ5:30“わたしは、自分の力では何もできません。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の意志を求めるからです。” ヨハネ12:49
ヨハネ12:49“私が自分の権威で語ったのではなく、私をお遣わしになった父ご自身が、私に戒めをお与えになったのです。” 何を言い、何を語るべきか。

ピリピ2:3利己的な野心やうぬぼれからではなく、へりくだって、他人を自分よりも大切な者と思いなさい。キリスト・イエスは、神のかたちをしておられたにもかかわらず、神との平等を自分のものとせず7、自分を空しくして、しもべのかたちをとり、人に似せてお生まれになりました8。

ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。そして、私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって生きているのです。
1 コリント 11:1私がキリストに倣っているように、あなたも私に倣いなさい。

ヨハネ14:20その日、あなたがたは、わたしが父のうちにおり、あなたがたがわたしのうちにおり、わたしがあなたがたのうちにいることを知るでしょう。わたしを愛する者は、わたしの父に愛され、わたしはその人を愛し、その人に自分を現すのです。

ピリピ2:8イエスは、人間のかたちをしておられたので、死に至るまで、それも十字架の上で死ぬまで従順になることによって、ご自身をへりくだりなさいました。9 それゆえ、神はイエスを高く上げ、あらゆる名にまさる名を彼にお授けになりました。
申命記28:1 あなたがたの神、主の御声に忠実に従い、わたしが今日あなたがたに命じる主のすべての戒めを注意深く行うなら、あなたがたの神、主は、あなたがたを地のすべての国民の上に高く置かれるであろう。あなたの胎の実と、あなたの地の実と、あなたの家畜の実と、あなたの群れの増加と、あなたの群れの若さとが祝福され、5 あなたの籠と、あなたのこね鉢とが祝福され、6 あなたが入って来るときも祝福され、出て行くときも祝福される。主はあなたの納屋と、あなたが請け負うすべてのこととにおいて、あなたに祝福を命じられます。そして、あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福されるであろう。9 あなたがたが、あなたの神、主の戒めを守り、その道に歩むならば、主はあなたに誓われたように、あなたがたをご自分にとって聖なる民として立てられるであろう。主は、あなたがたに与えると先祖たちに誓われた地の中で、あなたがたの胎の実と、家畜の実と、地の実とに、あなたがたを豊かにさせ、12 主は、その良い宝庫である天をあなたがたに開いて、あなたがたの地にその季節に雨を降らせ、あなたがたの手のわざをことごとく祝福されます。そして、あなたがたは、多くの国々に貸しても、借りてはならない。13 主は、あなたがたを頭とし、尾とされず、ただ上って下ることのない者とされる。もし、あなたがたは、わたしが今日あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の戒めを、注意して守り、14 わたしが今日あなたがたに命じるどの言葉からも、右の手にも左の手にもそれることなく、他の神々を追い求めて、彼らに仕えることがないならば。

4.不従順の結果

創世記3:17そしてアダムに言われた、『あなたがたは妻の声に聞き従い、わたしが「食べてはならない」と命じた木を食べたので、あなたがたのゆえに地はのろわれ、あなたがたは苦しみのうちに、一生涯それを食べ続けなければならない』。
ローマ5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の人の従順によって多くの人が義人とされるのです。

創世記2:17しかし、善悪を知る木からは食べてはなりません。

創世記3:4しかし、蛇は女に言った、『あなたは必ず死ぬことはありません。

ヨハネの黙示録20:2 そして、悪魔でありサタンである大蛇を捕らえて、千年の間、縛りつけました。
黙示録12:9そして、大いなる竜が投げ落とされました。あの古代の蛇は、悪魔、サタンと呼ばれ、全世界を惑わす者ですが、地上に投げ落とされ、その天使たちも一緒に投げ落とされました。

ヨハネ 8:44あなたがたは、あなたがたの父である悪魔のものであり、あなたがたの意志は、父である悪魔の欲望を行うことです。彼は初めから人殺しであり、真理に立たない者です。彼はうそつきであり、うその父だからです。
ヨハネ 10:10 盗人は、盗み、殺し、滅ぼすためだけに来ます。わたしが来たのは、彼らがいのちを得、それを豊かに得るためです。
エペソ2:2あなたがたは、かつてこの世の道に従って歩き、空の力の支配者、すなわち、不従順の子らに働いている霊に従っていました。
マタイ13:19 御国のことばを聞いても理解しない者がいると、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪い去ります。これは、道に沿って蒔かれたものです。
マタイ12:24ところが、パリサイ人たちはそれを聞いて、『この人が悪霊を追い出すのは、悪霊の王子ベルゼブルによる。
ヨハネ14:30わたしはもう、あなたがたとは多くを語りません。この世の支配者が来るからです。
ヨハネの黙示録12:9 そして、大いなる竜が投げ落とされました。悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わす古代の蛇です。わたしは天で大声で言うのを聞いた。『今や、わたしたちの神の救いと力と国とキリストの権威とが来たのです。

エペソ6:12 私たちは、血肉と闘っているのではなく、支配者たち、権力者たち、今の暗闇を支配している宇宙的な力、天の所にいる悪の霊的な力に対して闘っているのです。
使徒言行録7:42しかし、神は彼らを退けて、天の軍勢を礼拝するようにされました。

1ペテロ5:5「同じように、年下の者たちも、年長者に従いなさい。神は高ぶる者には反対されますが、へりくだる者には恵みをお与えになります。6 それゆえ、しかるべき時に神があなたがたを高くしてくださるように、神の力ある御手の下にへりくだりなさい。8 心を慎み、用心しなさい。あなたがたの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように徘徊し、食い尽くす者を捜し求めています。”

エペソ2:2あなたがたは、かつてこの世の道を歩み、空の力の支配者、すなわち、不従順の子らに働いている霊に従っていました。

ヘブル3:18 その安息に入らないと誓われたのはだれに対してですか。
ヘブル4:11 だから、私たちは、同じような不従順によって堕落する者がないように、その安息に入るように努めましょう。

エペソ5:6だれも、空虚なことばであなたがたを惑わさないようにしてください。
ヨハネ3:36御子を信じる者はだれでも永遠のいのちを得、御子に従わない者はいのちを見ることができず、神の怒りがその上にとどまるのです。

5.すべての人は罪を犯した

創世記8:21 主はその良い香りをかいで、心の中で言われた、『わたしは二度と、人のゆえに地を呪わない。また、わたしがしたように、生きとし生けるものをことごとく打ち殺すことも二度とない』と。
エレミヤ17:9人の心は、ことごとく人を欺き、絶望的に病んでいます。
マタイ15:19 心からは、悪い思い、殺人、姦淫、性的不品行、盗み、偽証、中傷が出るからです。

ローマ3:23すべての人は罪を犯し、神の栄光を受けられないからです。
イザヤ59:2しかし、あなたがたの咎は、あなたがたの神とあなたがたの神との間を隔て、あなたがたの罪は、神が聞かれないように、あなたがたから御顔を隠されました。

ヨハネ16:9罪について、彼らは私を信じていないからです。

創世記3:5神は、あなたがたがそれを食べるとき、目が開かれ、善悪を知る神のようになることを知っておられるからです。
創世記3:7 そのとき、ふたりの目が開かれ、自分たちが裸であることを知りました。そこで、ふたりはいちじくの葉を縫い合わせて、ふんどしをつくりました。

ヨハネ9:41 イエスは彼らに言われた、『あなたがたは目が見えなければ罪はない。

ローマ5:12ですから、ちょうど罪が一人の人によって世に入り、死が罪によって生じたように、すべての人が罪を犯したので、死はすべての人に広がりました。
ローマ6:23罪の報酬は死ですが、神の無償の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ヘブル9:27人は一度死ぬように定められており、その後に裁きが来ます。

創世記18:25そのようなことをするのは、あなたがたから遠いことです。正しい者を悪い者と共に死なせ、正しい者を悪い者のようにするためです!そのようなことは、あなたがたには遠いことです!全地の裁き主は、正しいことをなさるのではありませんか。
詩篇9:8主は正しく世をさばき、正しく民をさばかれます。
伝道者の書12:14神は、すべての行いを、善であれ悪であれ、すべてのひそかなこととともに、さばかれるからです。
ヨハネ5:30わたしは自分では何もできません。なぜなら、わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方の意志を求めるからです。
ローマ2:6-10神は、ひとりひとりに、そのわざにしたがって報いをお与えになります。忍耐をもってよく行うことによって、栄光と誉れと不滅とを求める者には、永遠のいのちをお与えになりますが、自己を求め、真理に従わず、不義に従う者には、怒りと憤りとが起きます。悪を行うすべての人、第一にユダヤ人、またギリシヤ人にも、患難と苦難がありますが、善を行うすべての人、第一にユダヤ人、またギリシヤ人にも、栄光と誉れと平和があります。
ローマ2:12律法なしに罪を犯した者はみな、律法なしでも滅び、律法の下で罪を犯した者はみな、律法によって裁かれるからです。
ローマ3:19さて、私たちが知っているのは、律法が何を言っても、それは律法の下にある者に語りかけ、それによってすべての口が止められ、全世界が神に対して責任を問われるようになるということです。
ヨハネの黙示録16:5わたしは、水をつかさどる天使が言うのを聞きました、『聖なる者よ、あなたはただ、現におられ、また、かつておられた方で、これらのさばきをもたらされたからです』。
黙示録16:7また、私は祭壇が言うのを聞いた、『そうです、全能の神、主よ、あなたのさばきは真実で正しいです』。

詩篇139:2あなたは、わたしがいつ座り、いつ起き上がるかを知っておられ、遠くからわたしの思いを見抜かれます。

ヨハネ3:18彼を信じる者は罪に定められませんが、信じない者は、神のひとり子の名を信じなかったのですから、すでに罪に定められているのです。
ヨハネ 5:24まことに、まことに、あなたがたに言います。その人はさばきを受けるのではなく、死からいのちへと移されるのです。
ヨハネ 5:29そして、善を行なった者はいのちの復活のために、悪を行なった者はさばきの復活のために、出て来るのです。
ヨハネの黙示録20:11そのとき、わたしは、大きな白い御座と、その上に座っておられる方を見ました。そして、大小の死人が御座の前に立ち、書物が開かれているのを見ました。それは命の書です。海はその中にいた死者を引き上げ、死と黄泉とはその中にいた死者を引き上げ、彼らはひとりひとり、その行ったことに従ってさばかれました。15 また、だれでも、その名がいのちの書に書かれていないなら、その人は火の池に投げ込まれました。

マタイ8:11言っておくが、多くの者が東と西からやって来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着き、12 一方、御国の子らは外の暗やみに投げ込まれます。その所では、泣き悲しみ、歯ぎしりすることでしょう。
マタイ25:30 また、無価値なしもべを外の暗やみに投げ込みなさい。その所では、泣き、歯ぎしりすることでしょう。
マタイ25:41そして、その左側にいる者たちに、『のろわれた者たちよ、わたしから離れて、悪魔とその御使いたちのために用意された永遠の火に入れ。
マタイ25:46そして、これらの者は永遠の刑罰にあずかるが、正しい者は永遠のいのちにあずかる』と。
マルコ9:43また、もしあなたの手が罪を犯させるなら、それを切り落としなさい。両手で地獄、消えない火に行くよりは、不自由なままで人生に入る方がよいのです。
マルコ9:48「その虫も死なず、火も消えないところ」49 なぜなら、すべての人は火で塩漬けにされるからです。
黙示録19:20そして、獣は捕えられ、獣の前で、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わすしるしを行ったにせ預言者も、獣とともに捕らえられました。この二人は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれました。
黙示録20:14それから、死と黄泉とは火の池に投げ込まれました。15 また、だれでも、その名がいのちの書に書かれていないなら、その人は火の池に投げ込まれました。
2 テサロニケ 1:9彼らは、主の御前とその力の栄光とから離れて、永遠の滅びの刑罰を受けます。

エレミヤ29:11主は宣言されます。「わたしは、あなたがたのために計画していることを知っている。

B.罪から救ってくださる神

1.正当化

1) 心臓の割礼

創世記17:10「これは、わたしとあなたたち、およびあなたたちの後の子孫との間で、あなたたちが守るべきわたしの契約である:あなたがたのうちのすべての男子は、割礼を受けなければならない。”
創世記17:14“割礼を受けていない男子で、その包皮の肉に割礼を受けていない者は、その民から断たれなければならない。” “彼はわたしの契約を破ったのである。”

ガラテヤ5:6 “キリスト・イエスにあっては、割礼も無割礼も何の価値もなく、ただ信仰が愛によって働くのです。”
ガラテヤ6:15“割礼も無割礼も何の価値もなく、新しく造られたものだからです。”
1コリント7:18“召されたとき、すでに割礼を受けていた人がいたでしょうか。割礼の跡を消そうとしてはなりません。召されたとき、割礼を受けていない人がいましたか。その人は割礼を求めないようにしなさい。
19 割礼も無割礼も、神の戒めを守ること以外には、何の価値もないからです。”

申命記10:16“それゆえ、あなたがたの心の包皮を切り、もはやかたくなにならないようにしなさい。”
エレミヤ4:4“ユダの人々、エルサレムの住民よ、心の包皮を取り去りなさい。””あなたがたの行いの悪さのゆえに、わたしの怒りが火のように燃え上がり、それを消すものがないように。”

申命記30:6“あなたの神、主は、あなたの心と子孫の心とに割礼を施される。” “それは、あなたが心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛するためである。”

使徒言行録7:51「あなたがたは、心も耳も割礼を受けていない、かたくなな首の民です。あなたがたの先祖がそうであったように、あなたがたもそうなのです。”

ローマ2:28「単に外面的にそうである者は、だれもユダヤ人ではなく、割礼も外面的、肉体的なものではありません。29 しかし、ユダヤ人は内面的には一つであり、割礼は心の問題であって、文字によるのではなく、御霊によるのです。彼の賛美は人によるのではなく、神によるのです。”

ガラテヤ3:29“あなた方がキリストのものであるなら、あなた方はアブラハムの子孫であり、約束に従った相続人なのです。”

マタイ1:21 “彼女は男の子を産む。その名をイエスと呼びなさい。” “その子は民をその罪から救うからである。”
ヘブル7:14“私たちの主がユダの子孫であったことは明らかであり、その部族に関連してモーセは祭司について何も述べていません。”

2) イエスの血

エレミヤ17:1 “ユダの罪は鉄のペンで書かれ、ダイヤモンドの先で彼らの心の石板と祭壇の角に刻まれている。”

レビ記17:11“肉のいのちは血の中にあり、わたしはあなたがたのために、それを祭壇にささげて、あなたがたのたましいのために贖いをしたのである。”
レビ記16:18“それから、彼は主の前にある祭壇に出て、そのために贖いをし、雄牛の血と山羊の血の一部を取って、それを祭壇の角の上に、四方に置きなさい。19 そして、その血の一部を七たび指でふりかけて、これをきよめ、イスラエルの人々の汚れからこれを聖別しなければならない』」。
ヘブル10:22“私たちは、心を悪しき良心からきよめられ、からだを清い水で洗われ、信仰を確信して、まことの心で近づこうではありませんか。”

出エジプト記12:5「あなたの子羊は、傷のないものでなければなりません。羊から取っても、山羊から取ってもよい。”
レビ記1:3「もし、そのささげ物が群れからの燔祭であるなら、彼は傷のない雄をささげなければなりません。彼はそれを会見の天幕の入口に携えて行きなさい。
レビ記1:10“もし、そのささげ物が羊や山羊の群れからの燔祭であるなら、彼は傷のない雄をささげなければならない。”

ヘブル10:1律法は、来るべき良いことの真の姿ではなく、その影にすぎないのですから、毎年絶えずささげられる同じいけにえによって、近づく者を完全にすることはできません。2 そうでなければ、一度きよめられた礼拝者は、もはや罪を意識することがないのですから、いけにえはささげられなくなったのではないでしょうか。3 しかし、これらのいけにえには、毎年罪を思い起こさせるものがあります。4 雄牛や雄やぎの血で罪を取り除くことは不可能だからです。

ヘブル8:5「天のものの模写であり、影です。モーセが天幕を建てようとしたとき、神からこう教えられました。
ヘブル9:9「(これは現代を象徴しています)。この配置に従って、礼拝者の良心を完全にすることのできない賜物といけにえがささげられます。”

ヘブル10:9それから、「見よ、わたしはあなたの御心を行うために来たのです。そして、その御心によって、私たちは、イエス・キリストのからだを一度捧げることによって聖別されたのです。
ヘブル10:18このような赦しがあるところには、もはや罪のための供え物はありません。19 ですから、兄弟たち、私たちはイエスの血によって聖なる所に入る確信があるのですから、20 イエスは、私たちのために幕を通して、すなわち、イエスの肉を通して開いてくださった新しい生きた道によって、聖なる所に入るのです。

ヨハネ1:29“次の日、彼はイエスが自分のほうに来るのを見て言った。”見よ、世の罪を取り除く神の小羊よ。”
1コリント5:7“古い澱をきよめ、あなた方が本当に澱のない新しい塊となるようにしなさい。私たちの過越の小羊であるキリストが犠牲になったのですから。”
ローマ人への手紙3:25“神が、その血によって、信仰によって受けるべき身代わりとして差し出された方です。これは神の義を示すためであり、神の寛容によって、神は以前の罪を赦されたからです。”

マルコ10:45 “人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命をささげるために来られたのです。”
1テモテ2:6“すべての人の身代金としてご自身をお与えになった方、それは、しかるべき時に与えられたあかしです。”
1ヨハネ2:2“彼は私たちの罪のための身代わりであり、私たちだけのためではなく、全世界の罪のための身代わりでもあります。”
1ヨハネ4:10 “これこそ愛です。” “私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のための身代わりとなる御子を遣わされたのです。”

ヘブル4:15“私たちには、私たちの弱さに同情できない大祭司がいるのではなく、あらゆる点で私たちと同じように誘惑を受けながら、罪を犯さない大祭司がいるのです。”
ヘブル9:14“永遠の御霊によって、傷のないご自身を神にささげられたキリストの血は、生ける神に仕えるために、私たちの良心を死んだ行いからきよめるのです。”
1ペテロ1:19“しかし、傷もしみもない子羊の血のような、キリストの尊い血で”
1ペテロ2:22-23“彼は罪を犯さず、その口に偽りもありませんでした。彼は、ののしられても、それに対してののしることをせず、苦しみを受けても、脅すことをせず、正しくさばかれる方に身をゆだね続けました。”
1ヨハネ3:5“あなたがたは、この方が現れたのは罪を取り除くためであり、この方には罪がないことを知っています。”
2コリント5:21“私たちのために、罪を知らない方を罪とされたのは、この方にあって、私たちが神の義となるためです。”

コロサイ1:20「また、この方によって、地上であれ天上であれ、すべてのものをご自分と和解させ、その十字架の血によって平和をお造りになったのです」。
ヨハネ19:34「ところが、兵士の一人が彼のわき腹を槍で刺すと、たちまち血と水とが出た」。

マタイ26:28“これは、罪の赦しのために多くの人のために注がれる、わたしの契約の血だからである。”
ヨハネ6:53-56「そこでイエスは彼らに言われた、『まことに、まことに、あなたがたに言う、人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしの肉はまことの食物であり、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります』」。
ローマ3:24-25「そして、神がその血によって身代わりとして差し出されたキリスト・イエスにある贖いによって、その賜物としての恵みによって義と認められ、信仰によって受けるのです。これは神の義を示すためであり、神の寛容によって、神は以前の罪を覆されたからです。”
ローマ5:9“ですから、私たちは今、彼の血によって義とされたのですから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるのです。”
エペソ1:7“私たちはこの方にあって、その恵みの富にしたがって、その血による贖い、すなわち私たちの罪の赦しを受けているのです。”
コロサイ1:20“また、この方によって、地上にあるものであれ、天にあるものであれ、すべてのものをご自分と和解させ、その十字架の血によって平和をお造りになりました。”
ヘブル10:19“ですから、兄弟たち、私たちはイエスの血によって聖なる所に入る確信を持っているのです。”
ヘブル13:12“ですから、イエスも、ご自分の血によって人々を聖別するために、門の外で苦しみを受けられたのです。”
ヘブル9:14“永遠の御霊によって、傷のないご自身を神にささげられたキリストの血は、生ける神に仕えるために、私たちの良心を死んだ行いからきよめるのです。”
1ペテロ1:18-19“あなたがたは、銀や金のような滅びやすいものではなく、傷も汚れもない子羊の血のような、キリストの尊い血によって、先祖から受け継いだ無益な道からあがなわれたのです。”
第一ヨハネ1:7“しかし、もし、彼が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、私たちは互いに交わりを持ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。”
黙示録1:5“また、忠実な証人、死者の長子、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解放してくださった方に。”
黙示録5:9“彼らは新しい歌を歌って言った。”あなたは巻物を取り、その封印を解くにふさわしい方です。あなたは殺され、その血によって、あらゆる部族、言語、民族、国民から、神のために人々をあがなわれたのですから。”
黙示録7:14“私は彼に言った、『先生、あなたはご存じです。すると彼は私に言った、『この人たちは大患難から出て来る人たちです。彼らは衣を洗い、小羊の血で白くしています』」。
ヨハネの黙示録12:9-11“そして、大いなる竜が投げ落とされました。悪魔、サタンと呼ばれ、全世界を惑わす、あの古代の蛇です。わたしは天で大声を聞いて言った、『今、わたしたちの神の救いと力と国とキリストの権威とが来たのです。彼らは小羊の血とそのあかしのことばによって、彼に打ち勝ったのです。

ローマ4:25 “私たちの罪のために引き渡され、私たちの義認のためによみがえらせられた方”

3) イエスの復活

ローマ4:25“私たちの罪のために引き渡され、私たちの義認のためによみがえらせられた方”

ヘブル8:3“すべての大祭司は、賜物といけにえをささげるために任命されているので、この祭司もささげるものを持つ必要があります。”
ヘブル9:7“しかし、第二の祭司だけが行くのです。しかも、年に一度だけです。””しかも、血を取ることなしに行くのではありません。””それは、自分のためと、民の不慮の罪のためにささげるのです。”

ヘブル2:17“それゆえ、彼はあらゆる点で兄弟たちと同じようにされねばなりませんでした。”それは、人々に罪を償わせるために、神に仕える憐れみ深い忠実な大祭司となるためです。
ヘブル4:14“それなら、私たちには天を通られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、告白を堅く守りましょう。”
ヘブル5:4-6“アロンがそうであったように、神に召されて初めて、この栄誉を自分のものとするのです。キリストもまた、自分を高めて大祭司とされたのではなく、『あなたはわたしの子、今日わたしがあなたを生んだ』と言われた方によって任命されたのです。

ヘブル11:28“信仰によって過越の祭りを守り、血を振りかけたのは、初子を滅ぼす者が彼らに触れないようにするためでした。”

ヘブル10:22“私たちは、心を悪しき良心からきよめられ、からだを清い水で洗われ、信仰を確信して、まことの心で近づこうではありませんか。”
出エジプト記12:7“それから、彼らは血の一部を取り、それを食べる家の二つの門柱とまぐさとにつけなければならない。”

1コリント15:17“もしキリストがよみがえらなかったら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたはまだ罪の中にいるのです。”

ヘブル4:14“私たちには、天を通られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、告白を堅く守りましょう。”

黙示録5:9“彼らは新しい歌を歌って言った。”あなたは、巻物を取り、その封印を解くにふさわしい方です。あなたは殺され、その血によって、あらゆる部族、言語、民族、国民から、神のために人々をあがなわれたからです。”
使徒言行録20:28“聖霊がご自分の血をもって得た神の教会を顧みるために、あなたがたを監督者とされた群れすべてと、あなたがた自身とに、注意深く目を配りなさい。”
1コリント6:20“あなたがたは、代価を払って買われたのです。ですから、あなたがたのからだをもって神をあがめなさい。”

4) 価値観の変化

1ペテロ1:2 “父である神の予知にしたがって、御霊の聖めのうちに、イエス・キリストに従順であるため、また、その血潮をそそぐためです:恵みと平和があなたがたに増し加わるように。”

ローマ1:5-6“この方によって、私たちは、イエス・キリストに属する者として召されたあなたがたを含め、すべての国民の間に、御名のために信仰の従順をもたらす恵みと使徒職とを受けました。”
ガラテヤ3:29“あなたがたはキリストのものであるなら、アブラハムの子孫であり、約束に従った相続人なのです。”
1ペテロ2:9“しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王家の祭司職、聖なる国民、御自分の所有のための民です。” “それは、あなたがたを闇からその驚くべき光の中に召し出してくださった方のすばらしさを宣べ伝えるためです。”

ローマ2:15“彼らは、律法のわざが心に書きしるされていることを示すと同時に、良心もまた証しし、相反する思いが彼らを非難し、あるいは弁解しているのです。”

ヘブル10:22“私たちは、心を悪しき良心からきよめられ、からだを清い水で洗われ、信仰を確信して、まことの心で近づこうではありませんか。”

1コリント15:10「しかし、神の恵みによって、私は今の私があるのであって、私に対する神の恵みは決して無駄ではありませんでした。それどころか、私は彼らのだれよりも一生懸命働きました。”私ではなく、神の恵みが私とともにあったのですが。”
ガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや生きているのは私ではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。そして、今、私が肉のうちに生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。”

ヘブル10:22“私たちは、心を悪しき良心からきよめられ、からだを清い水で洗われ、信仰を確信して、まことの心で近づこうではありませんか。”
ヘブル9:14“永遠の御霊によって、ご自分を傷のないまま神にささげられたキリストの血は、生ける神に仕えるために、私たちの良心を死んだ行いからきよめるのです。”
1テモテ1:19“信仰と良心を保ちなさい。これを拒んで、信仰を難破させる者がいます。”

ヘブル10:19-22“ですから、兄弟たち、私たちは、イエスの血によって、すなわち、イエスの肉によって、幕を通して私たちのために開かれた新しい生きた道によって、聖なる所に入る確信を持っているのです。” “私たちには神の家を治める偉大な祭司がおられるのですから、心を悪しき良心からきよめ、からだを清い水で洗って、信仰を確信して、まことの心で近づこうではありませんか。”
エペソ2:18-19「この方によって、私たちは共に一つの御霊によって父のみもとに近づくことができるのです。ですから、あなたがたは、もはやよそ者でも外国人でもなく、聖徒たちと同じ市民であり、神の家の一員なのです。”

2コリント6:2「『好ましい時に、私はあなたがたに耳を傾け、救いの日に、私はあなたがたを助けたのです。見よ、今こそ好都合な時であり、見よ、今こそ救いの日である』と。”
ヤコブ4:14「しかし、あなたがたは明日のことを知りません。あなたの命は何ですか。あなたがたは、少しの間現れては消える霧だからです。”

マルコ1:15“そして言った、「時は成就し、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」”
ルカ24:47“また、罪の赦しのための悔い改めが、エルサレムから始めて、その名によってすべての国民に宣べ伝えられるように”
ローマ2:4“それとも、あなたがたは、神のご親切が悔い改めに導くためのものであることを知らないで、そのご親切と寛容と忍耐の豊かさをあなどっているのですか。”
ガラテヤ2:16“それでも、人は律法の行いによって義と認められるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって義と認められることを、私たちは知っています。” “律法の行いによって義と認められる者はいないからです。”
ローマ4:5“また、働かないで、不敬虔な者を義としてくださる方を信じる者には、その信仰は義とみなされます。”

ローマ4:3-8「聖書には何と書いてありますか。アブラハムは神を信じたので、それを義と数えられた』と。さて、働いている者には、その賃金は賜物としてではなく、その報いとして数えられます。また、働かないで、不敬虔な者を義とされる方を信じる者には、その信仰が義とみなされます。ダビデも、神が行いとは別に義とされる者の祝福について次のように語っています。
エペソ2:1“あなたがたは、罪と不法とで死んでいたのです。”

ローマ4:4“さて、働いている者にとって、その賃金は賜物としてではなく、その報いとして数えられます。”

ガラテヤ2:16-17「しかし、私たちは、人が律法の行いによって義と認められるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって義と認められることを知っているので、私たちも、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるために、キリスト・イエスを信じたのです。しかし、キリストにあって義とされようと努力した結果、私たちも罪人であることがわかったとしたら、キリストは罪のしもべなのでしょうか。そうではありません。

ヤコブ2:20-22「愚かな者よ、行いから離れた信仰は何の役にも立たないことを示されたいのですか。私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。信仰は行いと共に活動し、信仰は行いによって完成されたのです。”

ガラテヤ3:2「これだけは聞いておきましょう:あなたがたは、律法の行いによって御霊を受けたのですか、それとも信仰によって聞いたのですか。”
ガラテヤ3:5“あなたがたに御霊を供給し、あなたがたの間で奇跡を行う者は、律法の行いによるのですか、それとも信仰をもって聞くことによるのですか。”
ガラテヤ3:9-14「ですから、信仰に基づく者は、信仰の人アブラハムとともに祝福されるのです。律法の行いに頼る者はみな、のろいの下にあります。『律法の書に書いてあるすべてのことを守って行わない者は、みなのろわれよ』と書いてあるからです。義人は信仰によって生きる』からです。しかし、律法は信仰によるものではなく、むしろ『それらを行う者が、それらによって生きる』のです」。キリストは、私たちのために呪いとなることによって、律法の呪いから私たちを贖ってくださいました。『木につるされた者は皆、呪われる』と書いてありますが、それは、キリスト・イエスにおいて、アブラハムの祝福が異邦人に及ぶためであり、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです」。
ガラテヤ3:27-29「あなたがたのうち、キリストのバプテスマを受けた者は、みなキリストを着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。そして、もしあなたがたがキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束に従った相続人なのです。”

1コリント12:3“ですから、あなたがたに理解していただきたいのは、神の霊によって語る者は、だれも「イエスはのろわれた者だ!」とは言わないし、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないということです。”
マタイ16:16-17「シモン・ペテロは答えました『あなたこそ、生ける神の子キリストです』。するとイエスは彼に答えられた、『シモン・バル・ヨナ、あなたは幸いである!血肉がこのことをあなたに啓示したのではなく、天におられるわたしの父が啓示されたのです』」。

ヨハネ3:36“御子を信じる者は永遠の命を得、御子に従わない者は命を見ることができず、神の怒りがその上にとどまる”
マタイ7:18-27“健康な木は悪い実を結ぶことができず、病気の木は良い実を結ぶことができません。良い実を結ばない木はみな切り倒され、火に投げ込まれます。このように、あなたがたは実によって彼らを見分けるのです。わたしに『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか。そのとき、わたしは彼らに宣言します『わたしはあなたがたを知らなかった。そうすれば、わたしのこれらの言葉を聞いて、それを行う者はみな、岩の上に家を建てた知恵ある人のようになるでしょう。すると、雨が降り、洪水が起こり、風が吹いて、その家を打ちましたが、岩の上に建てられていたので、倒れませんでした。わたしのこれらの言葉を聞いて行わない者はみな、砂の上に家を建てた愚かな人のようになります。そして、雨が降り、洪水が来て、風が吹き、その家に打ちつけたので、その家は倒れ、その倒れは大きかった。”
ヤコブ2:26“霊から離れた肉体が死んでいるように、行いから離れた信仰も死んでいるのです。”

ガラテヤ3:26“キリスト・イエスにあって、あなたがたは皆、信仰によって神の子となったのです。”

黙示録20:12「わたしは、大小の死人が御座の前に立ち、書物が開かれるのを見ました。そして、もう一つの書物が開かれました。そして、死人たちは、その行ったことに従って、書物に書かれていることによってさばかれた。”
ヨハネの黙示録20:15“もし、だれでも、その名がいのちの書に書かれていないなら、その人は火の池に投げ込まれた。”

ヨハネの手紙第一3:1-10 「私たちが神の子と呼ばれるために、父がどのような愛を私たちにお与えになったかを見てください。世が私たちを知らないのは、世が神を知らなかったからです。愛する者たち、私たちは今、神の子であり、私たちがどうなるかはまだ現れていません。しかし、私たちは、彼が現れるとき、私たちが彼のようになることを知っています。罪を犯す者は皆、無法をも犯すのです。あなたがたは、この方が罪を取り除くために現れたことを知っています。このかたのうちにとどまって罪を犯し続ける者はなく、罪を犯し続ける者は、このかたを見たことも、このかたを知っていることもありません。幼な子たちよ、だれもあなたがたを欺いてはなりません。正しい行いをする者は、その人が正しいので、正しいのです。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼすためです。神から生まれた者は、罪を犯すようなことはしません。なぜなら、神の種がその人のうちに宿っているからです。このことによって、だれが神の子であり、だれが悪魔の子であるかがわかります。”義を行わない者は神から出た者ではなく、兄弟を愛さない者も神から出た者ではありません。

ローマ8:16“御霊ご自身が、私たちが神の子であることを、私たちの霊とともに証ししてくださいます。”
ガラテヤ4:6“あなたがたは子ですから、神は御子の御霊を私たちの心に遣わして、「アッバ!父よ!”

ヨハネ1:1“初めに言があり、言は神とともにあり、言は神であった”
ヨハネ1:8“彼は光ではなく、光について証しをするために来たのです。”
ヨハネ20:28“トマスは彼に答えた、「わたしの主、わたしの神よ!」”
ローマ人への手紙9:5“家長たちは彼らのものであり、肉によれば、彼らの種族からキリストが生まれました。アーメン。”
コロサイ1:16“この方によって、天においても地においても、見えるものも見えないものも、王座も支配権も支配者も権威も、すべてのものが造られたのです。”
ヘブル12:2“私たちの信仰の創始者であり完成者であるイエスを仰ぎ見なさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのために、恥をも厭わず十字架を忍び、神の御座の右に座しておられます。”
使徒言行録3:15“あなたがたは、神が死者の中からよみがえらせた命の創造者を殺したのです。このことを、私たちは目撃しています。”
1コリント2:8“この時代の支配者たちは、だれもこのことを理解していませんでした。もし理解していたなら、栄光の主を十字架につけることはなかったでしょう。”
ピリピ2:11“そして、父なる神の栄光のために、すべての舌がイエス・キリストが主であることを告白しています。”
ヘブル4:14“私たちには、天を通られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、告白を堅く守りましょう。”
ヨハネ10:11“わたしは良い羊飼いです。良い羊飼いは、羊のために命を捨てます。” ヨハネ10:14
ヨハネ10:14“わたしは良い羊飼いです。わたしは自分の羊を知り、自分の羊はわたしを知っています。” ルカ2:11
ルカ2:11“あなたがたのために、主キリストである救い主が、今日、ダビデの町にお生まれになりました。”
ローマ11:26“こうして、すべてのイスラエルは救われるのです。”救い主はシオンから来られ、ヤコブから不敬虔を追放される “と書いてあるとおりです。
ヘブル2:10“万物は誰のために、また、誰によって存在するのか、多くの子らを栄光に導き入れるにあたって、その救いの創始者を苦しみを通して完全な者とされるのは、ふさわしいことでした。”
1テモテ2:5“神はお一人であり、神と人との間に仲介者はお一人、キリスト・イエスというお方です。”
ヨハネ15:14-15“わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。もはや、わたしはあなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人のしていることを知らないからである。”わたしがあなたがたを友と呼んだのは、わたしが父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。”
1ヨハネ2:1“わたしの幼な子たちよ、わたしがこれらのことを書いているのは、あなたがたに罪を犯させないためです。しかし、もし罪を犯す者があれば、わたしたちには父との弁護者、すなわち義人イエス・キリストがいます。”
ヨハネ14:6「イエスは彼に言われた、『わたしが道であり、真理であり、命である。わたしを通してでなければ、だれも父のもとに行くことはできない』」。
ヨハネ10:7“そこで、イエスはまた彼らに言われた、『まことに、まことに、あなたがたに言う、わたしは羊の戸である』”。
ヨハネ10:9“わたしが戸です。わたしによって入る者があれば、その人は救われ、出入りして牧場を見つけることができます。” ヨハネ1:9
ヨハネ1:9“すべての人に光を与えるまことの光が、世に来ていました。”
ヨハネ8:12“イエスは再び彼らに語って言われた、『わたしは世の光である。わたしに従う者は、やみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つようになる』」。
ヨハネ9:5“わたしが世にいる限り、わたしは世の光です。”

2.変換

改心とは、古い自分を捨て、新しい自分を着ることです。自己中心の生活からキリスト中心の生活への転換です。ですから、改心は、義認の確信と聖霊の確認を伴う、主への従順な生活の始まりを意味します。

1) 肉の人から霊の人へ

コロサイ3:5-9「ですから、あなたがたのうちにある地上のもの、すなわち、性的な不品行、不純、情熱、邪悪な欲望、偶像礼拝である貪欲を捨てなさい。これらのために、神の怒りが来ます。あなたがたも、かつてこれらの中に生きていたときは、その中に歩んでいました。しかし、今は、怒り、憤り、悪意、中傷、わいせつな話しを、すべて捨て去りなさい。あなたがたは、古い自分を捨て、その習慣を捨てたのですから、互いにうそをついてはなりません。”
エペソ4:22“以前の生活習慣に属し、欺く欲望によって腐敗している古い自分を捨て去るためです。”
ローマ1:29-31“彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ちていました。ねたみ、殺人、争い、欺き、悪意に満ちています。噂好き、中傷する者、神を憎む者、横柄な者、高慢な者、自慢する者、悪を作り出す者、親に従わない者、愚かな者、信仰を持たない者、冷酷な者、冷酷な者です。”
ガラテヤ5:19-21「さて、肉の業は明らかです。性的不品行、不品行、官能、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒りの爆発、争い、分裂、ねたみ、泥酔、乱交、これらのようなものです。前にも警告したように、このようなことをする者は神の国を受け継ぐことはできません。”

コロサイ3:10-12「そして、創造主の姿に似せて知識を新たにされる新しい自分を身に着けました。ここには、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けている者と割礼を受けていない者、野蛮人、スキタイ人、奴隷、自由人はいません。神に選ばれた者、聖なる者、愛する者として、慈愛の心、親切、謙遜、柔和、忍耐を身につけなさい。”
エペソ4:23-24“そして、あなたがたの心を新たにし、まことの義と聖をもって神に似せて造られた新しい自分を着るようにしなさい。”

2コリント5:17「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、見よ、新しいものが来たのです。”

ピリピ3:20“しかし、私たちの市民権は天にあり、そこから救い主、主イエス・キリストを待ち望んでいます。”

マタイ7:21“わたしに「主よ、主よ」と言う者が皆、天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。”

マタイ25:40-46「そして、王は彼らに答えるでしょう『まことに、あなたがたに告げますが、わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたように、わたしにしたのです。そして、左側にいる者たちに言うでしょう、『のろわれた者たちよ、私から離れなさい。わたしは飢えていたのに、あなたがたはわたしに食物を与えず、渇いていたのに、あなたがたはわたしに飲ませず、わたしは見知らぬ者であったのに、あなたがたはわたしを歓迎せず、裸であったのに、あなたがたはわたしに衣服を着せず、病人であり、獄にいたのに、あなたがたはわたしを見舞わなかったからです』。すると、彼らも答えて言うでしょう、『主よ、わたしたちはいつ、あなたが飢えていたり、渇いていたり、見知らぬ者であったり、裸であったり、病人であったり、獄にいたりするのを見たでしょうか。そのとき、主は彼らに答えられるでしょう。そして、これらの者は永遠の刑罰にあずかり、正しい者は永遠のいのちにあずかるのです。”

マタイ12:50“天におられるわたしの父のみこころを行う者は、だれでもわたしの兄弟、姉妹、母なのです。”

1コリント3:1-2「しかし、兄弟たち、私は、霊的な者としてではなく、肉の者として、キリストにある幼子として、あなたがたに接することができませんでした。私は、あなたがたに固形物ではなく乳を与えました。あなたがたは、まだその準備ができていなかったからです。

1コリント3:3「あなたがたは、まだ肉の者だからです。あなたがたの間に嫉妬や争いがあるのは、あなたがたは肉に由来するもので、人間的なふるまいしかしていないのではありませんか。”
ガラテヤ5:17-21“肉の欲望は御霊に敵対し、御霊の欲望は肉に敵対します。これらは互いに対立して、あなたがたのしたいことをさせないようにするためです。しかし、御霊に導かれているなら、律法の下にはありません。肉の業は、性的不品行、不品行、官能、偶像礼拝、妖術、敵意、争い、嫉妬、怒りの爆発、対立、分裂、ねたみ、酩酊、乱交、これらのようなものです。前にも警告したように、このようなことをする者は神の国を受け継ぐことはできません。”

ヘブル5:12-14「あなたがたは、今ごろは教師になっているはずですが、神の託宣の基本原則をもう一度教えてくれる人が必要なのです。あなたがたに必要なのは、固い食物ではなく、乳なのです。乳で生活している人は皆、子供ですから、義のことばに熟達していません。しかし、固い食べ物は成熟した人のためのものであり、善と悪とを見分ける識別力が、絶え間ない訓練によって訓練された人のためのものなのです」。
ヘブル6:1-2「ですから、私たちは、キリストの初歩的な教理を離れ、死んだ行いからの悔い改めと神への信仰、また、洗礼、按手、死者の復活、永遠の裁きについての教えの土台を再び築かずに、成熟した教理に進みましょう。”

ヘブル5:12-14「あなたがたは、今ごろは教師になっているはずですが、神の託宣の基本原則をもう一度教えてくれる人が必要なのです。あなたがたに必要なのは、固い食物ではなく、乳なのです。乳で生活している人は皆、子供ですから、義のことばに熟達していません。しかし、固い食べ物は、成熟した人のためのものであり、善と悪とを見分ける識別力が、絶え間ない訓練によって訓練された人のためのものなのです」。

ヘブル4:1-2「それゆえ、その安息に入るという約束がまだ続いている間は、あなたがたのうちのだれかが、その安息に達することができなかったかのように思われないように、恐れていましょう。良い知らせは、彼らと同じように私たちのところにも来たのですが、彼らが聞いたメッセージは、聞く者と信仰によって結ばれていなかったので、彼らのためにならなかったからです。”

ヘブル6:7-8「たびたび降る雨を飲み、そのために耕作する人々に役立つ作物を実らせる土地は、神から祝福を受けます。しかし、いばらやあざみが生えるなら、それは価値がなく、のろわれに近く、その終わりは焼かれることです。”

2) 聖霊によって新しく生まれること

ヨハネ3:3-6「イエスは彼に答えられた『まことに、まことに、あなたがたに告げます。ニコデモは彼に言った、『人は年を取ってから、どうして生まれることができましょうか。年を取ってから、どうして生まれることができましょうか。イエスは答えられた、『まことに、まことに、あなたがたに言います。肉から生まれたものは肉であり、御霊から生まれたものは霊である』」。

マタイ18:3-4「そして言った、『まことに、あなたがたに言っておくが、あなたがたも回心して子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。この子供のようにへりくだる者は、天の国で一番偉いのです』」。
マルコ10:15「『まことに、あなたがたに言いますが、子供のように神の国を受け入れない者は、そこに入ることはできません』」”
ルカ10:21“その同じ時、彼は聖霊によろこんで言った。”天地の主である父よ、あなたがこれらのことを知恵ある者たちに隠して、幼な子に現わしてくださったことを感謝します。”そうです、父よ、そのようなあなたの恵み深いご意志があったからです。”
1コリント1:27-29「しかし、神は知恵ある者を辱めるために、世にあって愚かな者を選び、強い者を辱めるために、世にあって弱い者を選び、神の御前で人間が誇ることのないように、世にあって低く軽んじられているもの、すなわち、ないものをも選んで、あるものを無に帰されました。”

ルカ17:20-21 “ファリサイ派の人々に、神の国はいつ来るのかと尋ねられたので、彼は彼らに答えられた。”神の国は、観察できるような方法で来るのではありません。”見よ、ここにある!”とか、”あそこにある!”と言うのでもありません。

マタイ12:28“しかし、もし私が悪霊を追い出すのが神の御霊によるのなら、神の国はあなたがたの上に来たのです。”
ローマ14:17“神の国とは、食べたり飲んだりすることではなく、義と平和と聖霊による喜びのことなのです。”

ヨハネ3:8「風は思いのままに吹き、あなたがたはその音を聞きますが、それがどこから来てどこへ行くのか、あなたがたは知りません。御霊によって生まれた者は皆そうです。”
1コリント12:13“私たちは皆、一つの御霊によって、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由人であろうと、一つのからだになるためにバプテスマを受け、皆、一つの御霊を飲む者とされたのです。”
イザヤ32:15“御霊が高い所から私たちに注がれ、荒野が実り豊かな畑となり、実り豊かな畑が森とみなされるまで”

2コリント13:13“主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、皆さんと共にありますように”
1テサロニケ5:17“絶えることなく祈りなさい”
ルカ11:13“悪人であるあなたがたが、自分の子供たちに良い賜物を与える方法を知っているなら、天の父は、求める者にどんなに多く聖霊をお与えになることでしょう。”

1ペテロ2:2“生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な霊の乳を待ち望みなさい。
イザヤ55:1“渇く者はみな、水のある所に来なさい。金のない者は、来て買い、食べなさい!金のない者は、来て買い、食べよ。”来なさい、金も値もなしにぶどう酒と乳を買いなさい。”
1コリント3:2 “わたしは、あなたがたに固い食べ物ではなく、乳を与えました。あなたがたは、その準備ができていなかったからです。
ヘブル5:12-14“あなたがたは、今ごろは教師になっているはずですが、神の託宣の基本原則をもう一度教えてくれる人が必要なのです。あなたがたに必要なのは、固い食物ではなく、乳です。乳だけで生活している人は皆、子供ですから、義のことばに熟達していません。しかし、固い食べ物は、成熟した人のためのものであり、善と悪とを見分ける識別力が、絶え間ない訓練によって訓練された人のためのものなのです」。

ヘブル5:12-14「あなたがたは、今ごろは教師になっているはずですが、神の託宣の基本原則をもう一度教えてくれる人が必要なのです。あなたがたに必要なのは、固い食物ではなく、乳なのです。乳で生活している人は皆、子供ですから、義のことばに熟達していません。しかし、固い食べ物は、成熟した人のためのものであり、善と悪とを見分ける識別力が、絶え間ない訓練によって訓練された人のためのものなのです」。

ピリピ3:20“しかし、私たちの市民権は天にあり、そこから救い主、主イエス・キリストを待ち望んでいます。”
ヨハネ8:47“神から出た者は、神の言葉を聞きます。あなたがたがそれを聞かないのは、神から出た者ではないからです。”

マタイ12:34-35 「毒蛇の巣窟め!あなたがたは悪人なのに、どうして善を語ることができようか。心の豊かさから口が出るのです。善人はその良い宝から善を生み出し、悪人はその悪い宝から悪を生み出すのです。”

ローマ8:14-16「神の霊に導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、恐れに陥るために奴隷の霊を受けたのではなく、『アッバ!父よ。御霊ご自身が、私たちが神の子であることを、私たちの霊とともに証ししてくださるのです。”
ガラテヤ4:6“あなたがたは子ですから、神は御子の霊を私たちの心に送って、『アッバ!父よ。”

1 ヨハネ3:9“神から生まれた者は、罪を犯すことはありません。” “神の種がその人のうちに宿っているからです。” “神から生まれたのですから、罪を犯し続けることはできません。”

3) 悪魔の力からの解放

第1ヨハネ5:19“私たちは神から出た者であることを知っています。” “全世界は悪しき者の力の中にあります。”

ヨハネの手紙第一3:7-8「幼な子たちよ、だれもあなたがたを惑わさないようにしなさい。正しい行いをする者は、その人が正しいので、正しいのです。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼすためです。”

ヘブル2:14-17「それゆえ、子らも肉と血を分かち合っているのですから、御自身も同じものを分かち合って、死によって死の力を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼし、死を恐れて終生の奴隷となっていたすべての人々を解放されたのです。なぜなら、彼が助けるのは天使ではなく、アブラハムの子孫だからです。それゆえ、彼はあらゆる点で兄弟たちと同じようにされねばなりませんでした。”それは、彼が神に仕える憐れみ深い忠実な大祭司となり、人々の罪のための身代わりとなるためです”。
1ヨハネ3:8 “罪を犯すことを習慣とする者は、だれでも悪魔のものです。神の子が現れたのは、悪魔の業を滅ぼすためです。” 使徒言行録10:38
使徒言行録10:38“神がナザレのイエスに聖霊と力を注がれたのは。彼は、神が共におられたので、悪魔に苦しめられているすべての人をいやし、善を行なって回られたのです。”

コロサイ2:14-15「私たちに不利な法的要求を突きつける負債の記録を帳消しにしてくださいました。それは、十字架に釘付けにされたのです。そして、支配者や権力者を武装解除し、彼らを公然と辱め、ご自分において彼らに勝利されたのです。”

マルコ16:17“また、信じる者にはこれらのしるしが伴うでしょう。私の名によって悪霊を追い出し、新しい異言を語るようになります。”
ルカ10:17-19「七十二人は喜んで帰って来て、『主よ、あなたの御名によって、悪霊さえも私たちに服従しています。サタンが天から稲妻のように落ちるのを見ました。見よ、わたしはあなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を与えた。
ピリピ2:9-10 “それゆえ、神はイエスを高く上げ、あらゆる名にまさる名を彼にお授けになりました。” “それは、天においても、地においても、地の下においても、イエスの名によって、すべてのひざがひざまずくためです。”

2コリント4:3-4 「また、私たちの福音がベールに包まれているとしても、それは滅び行く人々にとってはベールに包まれているのです。彼らの場合、この世の神が不信心な人々の心を盲目にし、神のかたちであるキリストの栄光の福音の光を見ないようにしているのです。”

2コリント11:14“サタンでさえ、光の天使に化けているのですから、不思議ではありません。”

第2コリント11:14-15 「それもそのはず、サタンでさえ、光の天使に化けているのですから。だから、サタンのしもべたちが、義のしもべを装っても不思議ではありません。彼らの終末は、彼らの行いに対応するのです。”

ヨハネの黙示録12:11 “彼らは小羊の血とあかしのことばとによって、彼に打ち勝ちました。”
ヤコブ4:7“だから、あなたがたは神に従いなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。”
1ペテロ5:8-9「心を慎み、用心しなさい。あなたがたの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように、食い尽くすべき者を求めてうろついています。同じような苦しみを、全世界の兄弟たちが経験していることを知りながら、信仰に堅く立って彼に抵抗しなさい。”
エペソ6:11-17 「悪魔の策略に立ち向かうことができるように、神の武具をすべて身に着けなさい。私たちは、血肉に対して闘っているのではなく、支配者、権力者、今の暗闇を支配する宇宙的な力、天の所にいる悪の霊的な力に対して闘っているのです。ですから、悪の日に立ち向かうことができるように、また、すべてのことを成し遂げて堅く立つことができるように、神の武具をすべて取りなさい。だから、真理の帯を締め、義の胸当てを着け、足の靴として平和の福音によって与えられる備えを履いて立ちなさい。また、救いのかぶとをかぶり、神のことばである御霊の剣を取りなさい」。

マタイ12:43-45「汚れた霊が人の中から出て行くとき、水のない所を休息を求めて通り過ぎるが、何も見つかりません。そして、『私は元の家に帰ろう』と言います。そして戻って来ると、その家は空っぽで、掃き清められ、整頓されています。すると、その霊は行って、自分よりももっと悪い他の七つの霊を連れて来て、そこに入って住みつき、その人の最後の状態は最初の状態よりも悪くなります。この悪の世代もそうです。”
エペソ5:18“また、ぶどう酒に酔ってはいけません。それは放蕩であって、御霊に満たされなさい。”

第1ヨハネ5:18“私たちは、神から生まれた者はみな罪を犯し続けることがなく、神から生まれた者がその人を守り、悪しき者がその人に触れることがないことを知っています。”

ヘブル1:14“彼らはみな、救いを受け継ぐべき人々のために仕えるために遣わされた使役の霊ではありませんか。”
マタイ18:10“これらの小さい者のひとりを軽んじないようにしなさい。あなたがたに言っておくが、天では、彼らの御使いたちが、いつも天におられるわたしの父の御顔を見ているのです。”

1コリント6:3「私たちが天使をさばくことを知らないのですか。それなら、この世に関することは、なおさらです。”

C.キリストの体として私たちを聖別する神

1.神聖化

1) 悔い改め続ける生活

2ペテロ2:8 “その正しい人は、日ごとに彼らの中に住んでいたので、見聞きした彼らの無法な行いのことで自分の正しい魂を苦しめていました。”

ローマ人への手紙6:15-20「それでは、どうなのでしょうか。私たちは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるのですから。そんなことはありません!あなたがたは、だれに対しても従順な奴隷であるかのように見せかけるなら、その従順な者の奴隷であって、死に至る罪の奴隷であるか、義に至る従順な奴隷であるかを知らないのですか。しかし、神に感謝します。かつて罪の奴隷であったあなたがたが、自分たちが献身した教えの基準に心から従順となり、罪から解放されて義の奴隷となったのです。私が人間的な言葉で話しているのは、あなた方の生まれつきの限界のためです。あなたがたは、かつて自分の体を不浄の奴隷として、またさらなる無法につながる無法の奴隷として差し出したように、今は自分の体を聖化につながる義の奴隷として差し出しなさい。”

ローマ8:4-6 「律法の正しい要求が、肉によらず御霊に従って歩む私たちのうちに成就するためです。肉に従って生きる者は、肉のことに心を向けますが、御霊に従って生きる者は、御霊のことに心を向けます。肉に心を置くことは死であり、御霊に心を置くことはいのちと平安だからです。”

ローマ7:14「私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。
ローマ6:6“私たちの古い自分が彼とともに十字架につけられたのは、罪のからだを無にして、もはや罪の奴隷とならないためであることを、私たちは知っています。”

1ヨハネ3:5-9「あなたがたは、この方が現れたのは罪を取り除くためであり、この方には罪がないことを知っています。彼のうちにとどまって罪を犯し続ける者はなく、罪を犯し続ける者は誰も、彼を見たことも、知っていることもないのです。幼な子たちよ、だれもあなたがたを欺いてはなりません。正しい行いをする者は、その人が正しいので、正しいのです。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼすためです。神から生まれた者は、罪を犯すことはありません。”神から生まれたのですから、罪を犯し続けることはできません。

マタイ6:34「ですから、明日のことを思い煩ってはなりません。その日その日の悩みは、その日だけで十分なのです。”
マタイ10:28“また、肉体を殺しても魂を殺すことのできない者を恐れてはなりません。むしろ、魂も肉体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。”
使徒15:36-39「何日かたってから、パウロはバルナバに言った『帰って、私たちが主の言葉を宣べ伝えたすべての町の兄弟たちを訪ねて、彼らの様子を見よう』。さて、バルナバはマルコと呼ばれるヨハネを連れて行こうとしました。しかし、パウロは、パンフィリヤで自分たちから離れ、働きのために一緒に行かなかった者を、一緒に連れて行かないほうがよいと考えました。そこで、パウロとバルナバは意見が対立し、別れることになりました。バルナバはマルコを連れてキプロスへ航海した」。
ガラテヤ2:11-14「しかし、セファがアンティオキアに来たとき、私は面と向かって反対しました。というのは、ある人たちがヤコブのところから来るまでは、彼は異邦人たちと一緒に食事をしていたのですが、彼らが来ると、割礼党を恐れて身を引いて離れました。また、ほかのユダヤ人たちも、彼とともに偽善的な振る舞いをしたので、バルナバも彼らの偽善に導かれて迷ったのです。しかし、彼らの行いが福音の真理にそぐわないのを見て、私は皆の前でセファに言いました。”ユダヤ人でありながら、ユダヤ人のようにではなく異邦人のように生活しているのなら、どうして異邦人にユダヤ人のように生活するように強要することができましょうか。

1コリント15:31“兄弟たちよ、わたしたちの主キリスト・イエスにあって持っている、あなたがたに対するわたしの誇りによって、わたしは毎日死んでいるのです!”

2) 神の義を成し遂げる人生

ローマ1:17“正しい者は信仰によって生きる “と書かれているように、神の義は信仰に基づく信仰によって明らかにされるからです」。

ローマ3:21「しかし、今や、神の義は、律法から離れて現されました。律法と預言者はそれをあかししていますが、」22 「信じるすべての人のための、イエス・キリストを信じる信仰による神の義です。そして、キリスト・イエスにある贖いによって、その賜物としての恵みによって義と認められるのです。これは神の義を示すためであり、神の寛容によって、神は以前の罪を覆されたからです。26 “それは、イエスを信じる者を義とし、義とされるためです。”27 “それでは、私たちの誇りはどうなるのでしょうか。それは除外されます。どのような律法によってですか。行いの律法によるのですか。いいえ、信仰の律法によるのです。”

ローマ人への手紙10:2“わたしは、彼らが神に対する熱意はあっても、知識に従っていないことを証言します。”3“神の義を知らず、自分の義を立てようとして、神の義に服さなかったからです。”4“キリストは、信じるすべての人にとって、義のための律法の終りだからです。”
ヤコブ1:20“人の怒りは神の義を生み出さないからです”
ヤコブ4:11“兄弟たち、互いに悪口を言ってはいけません。兄弟に対して悪口を言う者、兄弟をさばく者は、律法に対して悪口を言い、律法をさばくのです。しかし、律法をさばくなら、あなたは律法を行う者ではなく、さばく者です。”12“律法を定め、また裁く者はただひとり、救うことも滅ぼすこともできる方です。救うことも滅ぼすこともできる方です。

2コリント5:18“これらはすべて、キリストによって私たちをご自分と和解させ、和解の務めを私たちに与えてくださった神から出たものです。” 19 “すなわち、神はキリストにおいて、世をご自分と和解させ、彼らの罪を顧みず、和解のメッセージを私たちに託してくださったのです。”20 “ですから、私たちはキリストの使者であり、神が私たちを通して訴えておられるのです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに、神と和解してくださいと願います。”21 “私たちのために、罪を知らない方を罪とされたのは、この方にあって、私たちが神の義となるためです。”

ピリピ3:7“しかし、私が得たどんな利得も、キリストのために損とみなしました。”8 “実に、私の主キリスト・イエスを知ることの凌駕する価値のゆえに、私はすべてのものを損とみなしています。キリストを得るためです。” 9 “そして、キリストにあって見いだされ、律法から来る自分の義ではなく、キリストを信じる信仰によって来る義、すなわち、信仰に頼る神からの義を持つ者となるためです。”

3) 信仰によって生きる人生

2コリント5:7“私たちは信仰によって歩むのであって、視覚によって歩むのではありません。”
ヘブル10:38“しかし、わたしの正しい者は信仰によって生きるのであって、彼が身を縮めるなら、わたしの魂は彼を喜ばない”

ローマ14:23 「しかし、疑う者は誰でも、食べるなら罪に問われます。信仰によらないものは、すべて罪だからです。”

ヨハネ9:41“イエスは彼らに言われた。”あなたがたは目が見えなければ罪はない。”しかし、今、”見える “と言っても、罪は残る。”
創世記3:5“神は、あなたがたがそれを食べると目が開かれ、善悪を知る神のようになることを知っておられるからである。”6“そこで、女は、その木が食物によく、目を楽しませ、また、その木が人を賢くするために望まれるものであるのを見て、その実を取って食べ、また、一緒にいた夫にも少し与えて食べさせた。”7“そのとき、ふたりの目が開かれ、自分たちが裸であることを知りました。そこで、ふたりはいちじくの葉を縫い合わせて、ふんどしを作った」。

使徒言行録6:10“しかし、彼らは、彼の語る知恵と御霊とに耐えることができませんでした。”11 “そこで彼らは、『彼がモーセと神を冒涜する言葉を語るのを聞いた』と言う者たちをひそかに扇動した。”12 “そして、民衆や長老たちや律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕らえ、議会の前に連れて行きました。” 13 “そして、『この人は、この聖なる場所と律法とに反する言葉を絶やさない』と言う偽証人を立てたのです。”

ローマ10:17“信仰は聞くことから、キリストの言葉によって聞くことから生まれるのです。”

ルカ17:10“だから、あなたがたも、命じられたことをすべて終えてから、「私たちはふさわしくない僕です。

ローマ4:4“さて、働いている者には、その賃金は賜物としてではなく、報いとして数えられます。”5“また、働かないで、不敬虔な者を義とする方を信じる者には、その信仰は義とみなされます。”
マタイによる福音書20章8節“夕方になると、ぶどう園の主人は監督に言った。”労働者を呼んで、賃金を支払いなさい。9“十一時ごろ雇われた者が来ると、それぞれ一デナリウスを受け取りました。”10“さて、先に雇われた者たちが来たとき、自分たちはもっと多くもらえると思ったが、彼らもそれぞれ一デナリオを受け取った。”11“それを受け取って、彼らは家の主人に不平を言い、”12“こう言った。”この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは彼らを、一日の重荷と灼熱の暑さとを背負った私たちと同じにされたのです”。13“しかし、彼はそのうちのひとりに答えた、『友よ、わたしはあなたがたに悪いことをしているのではありません。あなたがたは、一デナリオのために、わたしと同意しなかったのですか』」。14『自分のものを取って行きなさい。わたしは、あなたに与えるのと同じように、この最後の働き人に与えることにしています』」。15“‘私のものを私が選んでやってはいけないのですか。それとも、私の寛大さを恨むのですか』」。16“だから、最後の者が最初になり、最初の者が最後になるのです。”

ヤコブ2:17“信仰もまた、それ自体に行ないがなければ、死んでしまいます。”18 「しかし、ある人は言うでしょう、『あなたには信仰があり、私には行ないがある』と。あなたがたの信仰を、行いから切り離して私に示しなさい。19 “あなたがたは、神は一つであると信じています。悪魔でさえも信じているのです。20 “愚かな者よ、行いから離れた信仰は役に立たないということを、あなたは示されたいのですか。”21 “私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義とされたではありませんか。”22 “あなたがたは、信仰がその業とともに活動し、信仰がその業によって完成されたのを見たのです。”

マタイ 17:20 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰が小さいからです。もし、あなたがたに、からし種一粒のような信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と言うでしょう。
ルカ17:6 主は言われました。”もし、からし種一粒のような信仰があるなら、この桑の木に、「根こそぎ取って海に植えなさい」と言えば、あなたに従うでしょう。”
ローマ10:10 “人は、心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。”

4) 聖霊に包まれた生活

ローマ8:9 「しかし、神の霊があなたがたのうちに宿っているのなら、あなたがたは肉にあるのではなく、霊にあるのです。キリストの御霊を持っていない者は、キリストに属していません。”
ヨハネ14:20 “その日、あなたがたは、わたしが父のうちにおり、あなたがたがわたしのうちにおり、わたしがあなたがたのうちにいることを知るでしょう。”

ピリピ2:13 “あなたがたのうちに働いておられるのは神であり、みこころのため、また、みわざのためなのです。”

ルカ11:13 “悪人であるあなたがたが、自分の子供たちに良い賜物を与える方法を知っているなら、天の父は、求める者にどんなに多く聖霊をお与えになることでしょう。”
使徒2:38 “ペテロは彼らに言った。”あなたがたは、悔い改めて、罪の赦しのために、イエス・キリストの名によって一人一人バプテスマを受けなさい。”
使徒5:32 “私たちはこれらのことの証人であり、また、神が従う者にお与えになった聖霊も同様です。”
使徒言行録8:15-17 “聖霊がまだだれにも下っていなかったので、下って来て、彼らが聖霊を受けるように祈ったのは、主イエスの名によってバプテスマを受けたばかりの者たちでした。それから、手を彼らの上に置いたので、彼らは聖霊を受けたのです。”

ヨハネ14:26 “しかし、父がわたしの名によってお遣わしになる助け主、すなわち聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに言ったことをすべて思い起こさせてくださいます。”
ヨハネ15:26 “しかし、わたしが父からあなたがたに遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来ると、その御霊がわたしについて証ししてくださいます。”
ヨハネ16:8-14 “そして、その方が来られるとき、罪と義と裁きについて世に告げ知らせるのです。罪については、彼らがわたしを信じないからであり、義については、わたしが父のもとに行くと、あなたがたはもはやわたしを見なくなるからであり、裁きについては、この世の支配者が裁かれるからです。
私はまだあなたがたに言うべきことがたくさんありますが、あなたがたは今はそれに耐えられません。真理の御霊が来れば、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。私のものを取って、あなたがたに告げ知らせるからです。”

ローマ8:3-4 「肉によって弱められた律法にはできなかったことを、神は成し遂げてくださいました。ご自分の御子を罪深い肉に似せて、罪のために遣わし、肉において罪を断罪されたのは、律法の正しい要求が、肉によらず御霊に従って歩む私たちのうちに成就するためです。”

ガラテヤ5:24-25 「キリスト・イエスに属する者は、その情欲や欲望を持つ肉を十字架につけました。私たちが御霊によって生きているなら、私たちも御霊に歩調を合わせましょう。”
ガラテヤ2:20 “私はキリストとともに十字架につけられました。もはや生きているのは私ではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。そして、今、私が肉のうちに生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。”

ローマ8:11 “イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊があなたがたのうちに宿っておられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方も、あなたがたのうちに宿っておられるその御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだにいのちを与えてくださいます。”

ガラテヤ5:22-23 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

2.御霊の実

1) 愛

ローマ人への手紙5:5 “希望が私たちを辱めることはありません。””神の愛は、私たちに与えられた聖霊によって、私たちの心に注がれているからです。”

ヨハネ13:1 “さて、過越の祭りの前、イエスはご自分の時が来て、この世を去って父のもとに行かれることを知ると、世にいるご自分の者たちを愛しておられたので、彼らを最後まで愛されました。”

第一ヨハネ4:21 “神を愛する者は、その兄弟をも愛さなければならない。”

コリント13:4-7 「愛は忍耐強く、親切です。自分のやり方を主張せず、苛立たず、憤らず、不義を喜ばず、真理を喜びとします。愛はすべてのことを耐え忍び、すべてのことを信じ、すべてのことを望み、すべてのことを耐え忍びます。”
1ペテロ4:8 “愛は多くの罪を覆うので、何よりも、互いに熱心に愛し合いなさい。”

マタイ5:44 “あなたがたに告げます、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。”
詩篇109:4 “私の愛の代償に、彼らは私を非難しますが、私は祈りに身をささげます。”

2) 喜び

ヤコブ1:2 “兄弟たちよ、さまざまな試練に会うとき、それをすべての喜びと思いなさい。”
1ペテロ4:13 “しかし、キリストの苦しみを分かち合う限りにおいて喜びなさい。” “それは、キリストの栄光が現されるとき、あなたがたも喜び、喜ぶためです。”
コロサイ1:24 “今、私は、あなたがたのために苦しみを喜び、キリストの体、すなわち教会のために、キリストの苦難に欠けているものを、私の肉において満たしているのです。”

2コリント7:4 「私は、あなたがたに向かって大胆に行動し、あなたがたを大いに誇り、慰めに満ちています。すべての苦難の中で、私は喜びにあふれています。”
2コリント12:10 “キリストのために、私は弱さ、侮辱、苦難、迫害、災難に満足します。弱いときこそ、私は強いのです。”

マタイ5:11-12 「わたしのゆえに、他の人々があなたがたをののしり、迫害し、また、あなたがたに対してあらゆる悪口を言うとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。あなたがたの報いは天に大きいからです。” 彼らは、あなたがたより先にいた預言者たちを迫害したのですから。

ヨハネ15:9-12 「父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛しました。私の愛にとどまりなさい。もしあなたがたがわたしの戒めを守るなら、わたしが父の戒めを守ってその愛にとどまったように、あなたがたもわたしの愛にとどまるのです。わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満ちあふれるためです。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うことです。”

1テサロニケ5:16 “いつも喜びなさい”
ピリピ4:4 “主にあっていつも喜びなさい。”

3) 平和

1コリント14:33 “神は混乱の神ではなく、平和の神だからです。”
ピリピ4:9 “あなたがたが私の中で学び、受け、聞き、見たことは、これらのことを実践することです。”

ヨハネ20:19 “週の初めのその日の夕方、ユダヤ人を恐れて弟子たちのいる戸には鍵がかかっていたので、イエスは来て彼らの間に立ち、彼らに言われた。”あなたがたに平和があるように”。
ヨハネ20:26 「八日後、弟子たちは再び中にいて、トマスも一緒にいました。戸には鍵がかかっていましたが、イエスは来て、彼らの間に立って言われました。

2コリント5:17-18 「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、見よ、新しいものが来たのです。キリストが私たちをご自分と和解させ、和解の務めを私たちに与えてくださったのです。”

マタイ5:9 “平和をつくる者は幸いです。” “彼らは神の子と呼ばれます。”

ヘブル12:14“すべての人との平和と、それなしにはだれも主を見ることのできない聖さのために努めなさい。”

4) 忍耐

黙示録14:12 “ここには、聖徒たち、すなわち、神の戒めとイエスへの信仰を守る者たちの忍耐が求められています。”
マタイ10:22 “あなたがたは、わたしの名のために、すべての人に憎まれるでしょう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。”

テサロニケの信徒への手紙二1:4 “ですから、私たち自身も、あなたがたのすべての迫害と、あなたがたの耐えている苦難とにおいて、あなたがたの堅忍と信仰とを、神の諸教会の中で誇っているのです。”

ヤコブ1:3-4 「あなたがたは、信仰の試練が堅忍を生むことを知っています。あなたがたは、何一つ欠けるところのない完全な者となるのです。”

ヤコブ5:10-11 「兄弟たち、苦しみと忍耐の模範として、主の名によって語った預言者たちを挙げましょう。見よ、私たちは、堅忍不抜を貫いた人たちを幸いな人だと考えています。あなたがたは、ヨブの堅忍不抜を聞き、主の目的を見たはずです。
ヘブル6:12 “あなたがたは、のろわずに、信仰と忍耐とによって約束を受け継ぐ人々に倣う者となりなさい。”

ヘブル10:36 “神のみこころを行なったとき、約束されたものを受けることができるように、あなたがたには忍耐が必要なのです。”

ルカ8:15 “良い土にあるものについては、みことばを聞いて、それを素直な良い心で堅く守り、忍耐して実を結ぶ人たちです。”

5) 優しさ

ローマ2:4 “それとも、あなたがたは、神の親切があなたがたを悔い改めに導くためのものであることを知らないで、その親切と寛容と忍耐の富をあなどっているのですか。”

ローマ11:22 「それなら、神の優しさと厳しさに注意しなさい。堕落した人々に対する厳しさと、あなたがたに対する神の優しさ。そうでなければ、あなたがたも断ち切られてしまいます。”

エペソ2:7“それは、来るべき時代に、キリスト・イエスにある私たちへの優しさにおいて、計り知れないほどの豊かな恵みを示してくださるためです。”

ルカ6:36 “あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深くありなさい。”

ルカ10:34彼は彼のところに行って、その傷を縛り、油とぶどう酒を注ぎました。そして、彼を自分の動物に乗せ、宿屋に連れて行って世話をしました。35 そして翌日、二デナリ取り出して宿屋の主人に渡し、『彼の世話をしなさい。36 この三人のうちで、強盗の中に落ちた人の隣人であることが証明されたのは、だれだと思いますか」。37 彼は言った、”彼にあわれみを示した人”。イエスは彼に言われた、”あなたも行って、同じようにしなさい”。

6) 善

テトス2:14 “私たちをすべての無法から贖い、ご自分の所有のために、善い行いに熱心な民を清めるために、私たちのためにご自身をお与えになりました。”

マタイ5:14-16「あなたがたは世の光です。丘の上にある町は、隠れることができません。また、人はランプに火をともし、それをかごの下に置くのではなく、台の上に置いて、家の中のすべての人に光を与えます。同じように、あなたがたの光を他の人々の前で輝かせて、人々があなたがたの善行を見、天におられるあなたがたの父に栄光を帰するようにしなさい。”

1ペテロ2:12“異邦人の間で、あなたがたの行いを立派なものにしておきなさい。”そうすれば、彼らがあなたがたを悪人として悪く言うとき、あなたがたの善行を見、訪問の日に神をあがめることができるからです。

ガラテヤ6:10 “ですから、私たちは機会があれば、すべての人に、特に信仰の家に属する人々に善を行ないましょう。”

ヘブル6:10“神は、あなたがたが今もそうしているように、その働きと、聖徒たちに仕えて御名のために示した愛とを見過ごすほど、不当な方ではありません。”

テトス3:8「このことばは信頼に足るものですから、神を信じた者が善い行いに専念するように、これらのことをあなたがたに主張してほしいのです。これらのことは、人々にとってすぐれた有益なことです。”
テトス3:14 “また、私たちの民は、急を要する場合に役立つように、善いわざに身をささげることを学び、実を結ばないことのないようにしなさい。”

7)誠実さ

コリントの信徒への手紙二1:20「神の約束はすべて、この方にあってその “はい “を見いだすのです。ですから、この方によって、私たちは神の栄光のためにアーメンを口にするのです。”

ヨシュア記21:45“主がイスラエルの家に約束されたすべての良い約束は、一言も失敗することなく、すべて実現しました。”

1コリント10:13「人にない誘惑は、あなたがたを襲っていません。神は忠実な方ですから、あなたがたが自分の力以上の誘惑に遭うことはなさいません。

ヘブル3:5 “さて、モーセは、後に語られることを証しするために、しもべとして神のすべての家に忠実でした。”

マタイ24:45“それでは、主人が自分の家計を管理させ、適切な時に食事を与える忠実で賢いしもべは、いったいだれなのでしょうか。”
1テモテ1:12 “私に力を与えてくださった方、すなわち、私たちの主キリスト・イエスが、私を忠実と判断し、その奉仕に任命してくださったことを感謝します。”

8) 優しさ

マタイ11:29“わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。わたしは心優しく、卑しい者だからです。”

マタイ5:5 “柔和な者は幸いである、彼らは地を受け継ぐ”

ガラテヤ6:1「兄弟たち、もしだれかが何かの罪に捕らわれているなら、霊的な者であるあなたがたは、やさしさの霊をもって、その人を回復させなさい。あなたがたも誘惑されないように、自分を見張っていなさい。”

テトス3:2 “だれに対しても悪口を言わず、けんかを避け、やさしくし、すべての人に対して完全な礼儀を尽くすこと”

9) 自制心

コリントの信徒への手紙一9:25 「スポーツ選手はみな、あらゆることに自制心を働かせます。彼らは滅びることのない花輪を受けるためにしているのですが、私たちは滅びることのない花輪を受けるためにしているのです。”

使徒言行録24:25「彼が義と自制と来るべき裁きについて理屈を述べたので、フェリクスは警戒して言った、『今は立ち去りなさい。機会があれば、あなたを呼び出します』。

2テモテ1:7“神は私たちに恐れの霊ではなく、力と愛と自制の霊をお与えになったからです。”

箴言23:29-32「だれに災いがあるか。だれに悲しみがあるのか?だれに争いがあるのか?不平があるのはだれか?理由のない傷があるのはだれか?目を赤くする者はだれか。ぶどう酒のために長居をする者、混ぜたぶどう酒を試しに行く者。ぶどう酒が赤いとき、杯の中できらきらと輝き、なめらかに飲み下すときは、ぶどう酒を見てはいけません。結局は蛇のように噛みつき、毒蛇のように刺すのだから」。
箴言31:4“レムエルよ、ぶどう酒を飲むのは王のためではなく、強い酒を飲むのは支配者のためではない。”

D.神の恵みの手段

1.洗礼 (βάπτισμα)

1) 水の洗礼

1ペテロ3:21“バプテスマは、体の汚れを取り除くものとしてではなく、イエス・キリストの復活によって、きよい良心を神に訴えるものとして、あなたがたを救うのです。”

1ペテロ3:20-21「ノアの時代、箱舟が準備されている間、神の忍耐が待っていたとき、彼らは従わなかったのです。これに相当するバプテスマが、今、あなたがたを救うのは、体の汚れを取り除くためではなく、イエス・キリストの復活によって、きよい良心を神に訴えるためなのです。”

ローマ6:3-5 「キリスト・イエスにあずかるためにバプテスマを受けた私たちが皆、キリストの死にあずかるためにバプテスマを受けたことを知らないのですか。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも新しいいのちのうちに歩むためです。キリストと同じような死においてキリストと結ばれたのであれば、キリストと同じような復活において、私たちも必ずキリストと結ばれるからです」。
コロサイ2:12“バプテスマによって彼とともに葬られ、そのバプテスマによって、あなたがたも、彼を死者の中からよみがえらせた神の力ある働きを信じる信仰によって、彼とともによみがえらされたのです。”

ガラテヤ3:27“あなたがたのうち、キリストのバプテスマを受けた者は、キリストを身につけたのです。”

マタイ28:19“だから、行って、すべての国の人々を弟子とし、父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けなさい。”
使徒言行録2:38“ペテロは彼らに言った。”あなたがたは、悔い改めて、罪の赦しのために、イエス・キリストの名によって一人残らずバプテスマを受けなさい。”
使徒言行録8:16“聖霊はまだ彼らのだれにも下っていなかったからです。”彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けただけでした。

ヘブル人への手紙9:10 「これらは、飲食とさまざまな洗い-βαπτισμοῖς、改革の時まで課された体の規則-についてだけ扱っているからです」。
黙示録19:13 “彼は血に浸された衣をまとっている-βάπτω。
“彼は血にぬれた衣-βάπτω- をまとっています。その名は神の言葉と呼ばれる。”(WEB, ASV)
ヨハネ13:26 「イエスはお答えになった、『わたしがこの一切れのパンを浸したとき、与えるのはこの人である-βάπτω』。そこで、イエスはその一切れのパンを浸して、イスカリオテのシモンの子ユダにお渡しになった」。

使徒2:38-41:ペテロは人々に悔い改めて罪の赦しのためにイエス・キリストの名によってバプテスマを受けるように呼びかけ、約3,000人が受け入れてバプテスマを受けます。
使徒8:35-36:ピリポはイエスについて説教し、福音を聞いたエチオピアの宦官は、水を見つけ次第バプテスマを受けたいと願い出ます。
使徒11:18:初代教会は、神が異邦人を含め、いのちに至る悔い改めを認め、彼らがバプテスマを受ける権利を確認します。

マルコ1:9-10「イエスはヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けるために来られ、水から上がると、天が開かれた」。
ヨハネ3:23「ヨハネはまた、サリムの近くのアエノンでバプテスマを授けていた。

1コリント10:2“そして、皆、雲の中と海の中でモーセにバプテスマを受けました。”

使徒言行録2:41“そこで、みことばを受けた人々はバプテスマを受け、その日、約三千人の魂が加えられました。”エルサレムでこれほど多くの人々にバプテスマを施すという実際的な状況を考えると、バプテスマを象徴するために別の方法が用いられた可能性があります。

使徒言行録16:15「彼女とその家族がバプテスマを受けると、彼女は私たちに懇願しました。そして、彼女は私たちを説得しました。”
使徒16:31-33「彼らは言った、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』。そして彼らは、彼とその家にいたすべての人に主の言葉を語りました。そして、その夜の同じ時刻に彼らを連れて行き、彼らの傷を洗ったので、彼もその家族もみな、すぐにバプテスマを受けたのです。”

浸礼が不可能な状況では、『ディダケー』に見られるような初期キリスト教の慣習が示唆するように、水が注がれたり、振りかけられたりしたのでしょう。

ヨハネ4:1-2“さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作り、バプテスマを授けている(ただし、イエス自身はバプテスマを授けず、弟子たちだけに授けた)とパリサイ人たちが聞いていることをイエスが知ると、”

1コリント1:14-17「私の名によってバプテスマを受けたと言われないために、クリスポスとガイオ以外、あなたがたのだれにもバプテスマを授けなかったことを神に感謝します。(ステパナの家にもバプテスマを授けました。それ以外の人にバプテスマを授けたかどうかは知りません。)キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためです。

2)聖霊によるバプテスマ

マルコ1:8“私は水でバプテスマを授けたが、主は聖霊でバプテスマを授けてくださる”
ルカ3:16「ヨハネは一同に答えて言った、『わたしは水でバプテスマを授けますが、わたしよりも力強い方が来られます。その方は聖霊と火であなたがたに洗礼を授けるでしょう』」。
ヨハネ1:33“私自身はこの方を知りませんでしたが、水でバプテスマを授けるために私を遣わされた方が私に言われたのです。”あなたがたが御霊が下ってとどまるのを見る者は、聖霊でバプテスマを授ける者である”。

使徒行伝2:33“それゆえ、神の右の座に上げられ、御父から聖霊の約束を受けて、あなたがた自身が見聞きしているこれを注がれたのです。”
使徒言行録10:45“ペテロといっしょに来ていた割礼の信者たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので、驚きました。”
テトス3:6“私たちの救い主イエス・キリストを通して、私たちに豊かに注いでくださったのです。”

使徒言行録1:8“しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受け、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、そして地の果てまで、わたしの証人となるのです。”

使徒言行録1:5“ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは今から幾日も経たないうちに、聖霊でバプテスマを受けるのです。”
使徒言行録2:4“すると、彼らはみな聖霊に満たされ、御霊がことばをお与えになったとおりに、ほかの異言で話し始めた。”
使徒言行録2:11“ユダヤ人も異教徒も、クレタ人もアラビア人も、神の力あるわざを自分の舌で語るのを聞いています。”
使徒言行録4:31“彼らが祈ったとき、集まっていた場所が揺り動かされ、彼らはみな聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語り続けました。”

使徒言行録2:7-8「彼らは驚いて、『話しているのは、みなガリラヤ人ではないか。それなのに、私たちはどうして、それぞれ自分の母国語で聞いているのでしょう。”

使徒言行録1:4“そして、彼らと一緒にいる間、エルサレムから出発せず、父の約束を待つようにと命じられた。”それは、”あなたがたがわたしから聞いたことである “と言われた。
使徒言行録1:14“これらの人々はみな、女たち、イエスの母マリヤ、イエスの兄弟たちとともに、心を一つにして祈りに専念していました。”
使徒言行録8:15“降りて来て、聖霊を受けるように彼らのために祈られた方”

使徒言行録10:44-46「ペテロがまだこれらのことを言っているとき、聖霊がみことばを聞いたすべての人の上に下った。ペテロといっしょに来ていた割礼の信者たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので、驚きました。彼らが異言を語り、神をほめたたえるのを聞いたからです。”
使徒11:15“私が話し始めると、聖霊が彼らの上に下った。”

使徒19:6“パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らの上に臨まれ、彼らは異言を語り、預言し始めた。”

1コリント12:13“一つの御霊によって、私たちは皆、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由人であろうと、一つの体になるためにバプテスマを受け、皆、一つの御霊を飲まされたのです。”

:水のバプテスマは、キリストとの結びつきを公的に宣言するもので、他の人々の前で行われ、神に聞かれます。

1コリント12:7-11「それぞれには、共通の益のために御霊の現れが与えられています。ある人には御霊によって知恵のことばが、またある人には同じ御霊によって知識のことばが、またある人には同じ御霊によって信仰が、またある人には一つの御霊によっていやしの賜物が、またある人には奇跡の業が、またある人には預言が、またある人には霊を見分ける力が、またある人にはいろいろな異言が、またある人には異言の解釈が、それぞれ与えられているのです。”
ローマ12:6-8“私たちに与えられた恵みによって異なる賜物をもっているのですから、それを用いましょう。預言する者は、信仰に応じて、奉仕する者は、奉仕するうちに、教える者は、教えるうちに、勧める者は、勧めるうちに、貢献する者は、惜しみなく、導く者は、熱心に、憐れみの行いをする者は、朗らかに。”

1コリント12:11-12「これらはみな、同じ御霊によって力づけられたものです。ちょうど、からだは一つでありながら、多くの部分を持っており、からだのすべての部分は、たくさんあっても一つのからだであるのと同じように、キリストもそうなのです。”

1コリント13:1-3「もし、私が人の異言や天使の異言を語っても、愛がなければ、私はうるさい銅鑼や鳴り響くシンバルです。また、私が預言の力を持ち、すべての神秘とすべての知識を理解し、山を取り除くほどのすべての信仰を持っていても、愛がなければ、私は無に等しいのです。もし、私の持っているものすべてをささげ、私のからだを引き渡して焼かれるとしても、愛がなければ、私は何も得られません。”

1コリント14:2“舌で語る者は、人に語るのではなく、神に語るのです。” “だれも彼を理解しませんが、彼は御霊によって神秘を語るのです。”
1コリント14:15“私はどうしたらよいでしょうか。私は霊をもって祈りますが、心でも祈ります。” “私は霊をもって賛美を歌いますが、心でも歌います。”

出エジプト記40:13-15“あなたは聖なる衣をアロンに着せ、彼に油を注いで聖別し、彼が祭司としてわたしに仕えるようにしなさい。” “彼らの油注ぎは、彼らの代々にわたって、彼らを永続的な祭司職として認めさせる”
列王記上1:34“そこで祭司ザドクと預言者ナタンとが、彼に油を注いでイスラエルの王にしなさい。”
列王記上19:16“また、ニムシの子エフに油を注いでイスラエルの王とし、アベル・メホラのシャファトの子エリシャに油を注いで、あなたの代わりの預言者としなさい。”

ルカ4:18「主の霊が私の上におられるのは、貧しい人々に良い知らせを告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからです。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力を回復させ、虐げられている人を自由にすることを宣べ伝えるためです。”
使徒10:38「神はナザレのイエスに聖霊と力を注がれました。彼は、神が共におられたので、悪魔に苦しめられているすべての人をいやし、善を行なって回られたのです。”
第一ヨハネ2:27“しかし、あなたがたが彼から受けた油注ぎは、あなたがたのうちにとどまっているので、だれかに教わる必要はありません。あなたがたは、だれかに教わる必要はありません。しかし、主の油注ぎがあなたがたにすべてのことを教え、真実であり、偽りでないことを教えたように、あなたがたも主のうちにとどまりなさい。”

2コリント1:21-22“私たちをキリストにあってあなた方と共に立て、私たちに油を注ぎ、また、私たちに印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださったのは神です。”
エペソ1:13“あなたがたも、真理のことば、すなわち救いの福音を聞き、彼を信じたとき、約束の聖霊によって証印を押されたのです。”

2.主の晩餐

マタイ26:26“さて、彼らが食事をしていると、イエスはパンを取り、それを祝福してから裂き、弟子たちに与えて言われた。”取りなさい、食べなさい。

マタイ26:28“これは、罪の赦しのために多くの人のために注がれる、わたしの契約の血だからです。”

ルカ22:19「そして、パンを取り、感謝をささげてから、それを裂き、彼らに与えて言われた、『これは、あなたがたのために与えられるわたしのからだです。わたしを思い起こして、このようにしなさい』」。
1コリント11:24-25「そして、感謝をささげてから、それを裂き、『これは、あなたがたのためにある私のからだです。わたしを思い起こして、このようにしなさい』。また、夕食の後、同じように杯を取り、こう言われました『この杯は、わたしの血による新しい契約である。これを飲むたびに、わたしを思い起こして行いなさい』」。

1コリント11:26“あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を宣言するのです。”

1コリント10:16「私たちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。”

1コリント11:27-29「ですから、ふさわしくない仕方でパンを食べたり、主の杯を飲んだりする者は、主の体と血に関して罪を犯すことになります。自分を吟味して、パンを食べ、杯を飲みなさい。からだを見極めないで食べたり飲んだりする者は、だれでも自分自身を裁くことになるからです。”

3.祈り

1) 感謝の祈り

1コリント15:10「しかし、神の恵みによって、私は今の私があるのであって、私に対する神の恵みは決して無駄ではありませんでした。それどころか、私は彼らのだれよりも一生懸命働きました。”それは私ではなく、神の恵みが私とともにいてくださったからなのですが。

1 コリント 4:7あなたがたのうちに、何か変わったところがあると、だれが見るでしょうか。あなたがたは、受けなかったものを持っているのですか。ローマ11:36「すべてのものは、この方から生じ、この方によって生じ、この方にあるのです。栄光は永遠に彼にあります。アーメン。”

詩篇106:1主をほめたたえよ!主はいつくしみ深く、その堅固な愛はとこしえまでも続くからです!

詩篇50:23感謝をいけにえとしてささげる者は、わたしをほめたたえます!

1 テサロニケ5:18“どんなときにも感謝しなさい。” これが、あなたがたに対するキリスト・イエスにある神の御心だからです。
コロサイ3:17また、あなたがたのすることは、言葉であれ行いであれ、すべて主イエスの名によって行い、主イエスを通して父なる神に感謝しなさい。

コロサイ4:2感謝しながら、祈りを堅く続けなさい。
ルカ21:34-36「しかし、あなたがたの心が散逸や酩酊やこの世の思い煩いで重くなり、その日が罠のように突然、あなたがたの上に来ることのないように、あなたがたは気をつけなさい。その日は、全地に住むすべての人の上に来るからです。しかし、常に目を覚ましていなさい。これから起こるすべてのことから逃れ、人の子の前に立つ力を持つことができるように祈りなさい。”

2) 悔い改めの祈り

エゼキエル18:30「それゆえ、イスラエルの家よ、わたしは、一人一人の道に従って、あなたがたを裁く、と主なる神は宣言されます。悔い改めて、すべての罪から立ち返りなさい。

マタイ3:8“悔い改めにふさわしい実を結びなさい”

ヘブル6:1“ですから、私たちは、キリストの初歩的な教理を離れ、死んだ行いからの悔い改めと神に向かう信仰との土台を再び築かずに、成熟に向かおうではありませんか。”

マルコ1:15“時は成就し、神の国は近づいた。” 悔い改めて福音を信じなさい。

使徒言行録2:38そして、ペテロは彼らに言いました。”あなたがたは、悔い改めて、罪の赦しのために、イエス・キリストの名によってひとりひとりバプテスマを受けなさい。

使徒言行録3:19“悔い改めて立ち帰りなさい。そうすれば、あなたがたの罪が消え去り、主の御前からさわやかな時が来るでしょう。”

黙示録2:5「それゆえ、あなたがたは、どこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて、初めにしたわざを行いなさい。もし悔い改めなければ、わたしはあなたがたのところに行って、あなたがたの灯台をその場所から取り去ります。”

ローマ2:5“しかし、あなたがたは、かたくなで偽りのない心のゆえに、神の正しい裁きが現われる怒りの日に、自分のために怒りを蓄えているのです。”

3) とりなしの祈り

ローマ8:26「同じように、御霊も私たちの弱さを助けてくださいます。私たちは、何を祈るべきかを知らないのですが、御霊ご自身が、言葉にできないほどの深いうめきをもって、私たちのために執り成してくださるのです。”

ヘブル7:24-25「しかし、イエスは永遠に生きておられるので、永久の祭司職を持っておられます。それゆえ、ご自分を通して神に近づく人々を完全に救うことがおできになるのです。”
ローマ8:34“では、断罪する者はだれですか。だれでもありません。死んだキリスト・イエスは、それ以上に、よみがえられたキリスト・イエスは、神の右におられ、私たちのために執り成しておられます。”

コロサイ4:3“同時に、私たちのためにも祈ってください。” “私が獄中にいるのは、そのためなのですが、キリストの神秘を宣べ伝えるために、神が私たちにことばの扉を開いてくださるように”
2テサロニケ3:1-2“最後に、兄弟たち、あなたがたの間に起こったように、主の言葉が早く進み、尊ばれるように、また、私たちが邪悪な悪人から救い出されるように、私たちのために祈ってください。すべての人が信仰を持っているわけではないからです。”

1テサロニケ3:13“それは、私たちの主イエスがすべての聖徒たちと共に来られるときに、私たちの神であり父である方の前に、あなたがたの心を汚れのない聖なるものとされるためです。”
1テサロニケ5:23“今、平和の神ご自身があなたがたを完全に聖別し、私たちの主イエス・キリストが来られるときに、あなたがたの霊魂と肉体のすべてが罪のないものとされますように。”

第1ヨハネ5:14-16「また、これこそ、私たちが主に対して持っている確信です。そして、私たちが何を願い求めても、主が私たちの願いを聞いてくださることを私たちが知っているなら、私たちは、私たちが主に願った願いをかなえていただいていることを知るのです。だれでも、兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たら、願い求めなさい。

使徒言行録12:5“それで、ペテロは獄につながれていましたが、教会は彼のために神に熱心に祈っていました。”
使徒12:12“このことに思い至ったとき、彼はマルコとも呼ばれるヨハネの母マリヤの家に行きましたが、そこには多くの人々が集まって祈っていました。”

コロサイ1:3“あなたがたのために祈るとき、私たちの主イエス・キリストの父である神にいつも感謝しています。”
コロサイ1:9“このようなわけで、あなたがたのことを聞いたその日から、私たちはあなたがたのために祈ることをやめませんでした。”
テサロニケの信徒への手紙一1:2“私たちは、あなたがたのことを絶えず祈りのうちに述べながら、あなたがたのすべてのためにいつも神に感謝しています。”
2テサロニケ1:11“私たちの神が、あなたがたをご自分の召しにふさわしくしてくださるように、このために、私たちはいつもあなたがたのために祈っています。”
ピレモン1:4“祈りの中であなたがたを思い出すとき、いつも神に感謝します。”

コロサイの信徒への手紙4:3“同時に、私たちのためにも祈ってください。” “神が、キリストの神秘を宣べ伝えるために、みことばの扉を開いてくださるように”
1テサロニケ5:25“兄弟たち、私たちのために祈ってください。”
2テサロニケ3:1“最後に、兄弟たち、あなたがたの間に起こったように、主のことばが先を速め、尊ばれるように、私たちのためにも祈ってください。”
ヘブル13:18“私たちのために祈ってください。” “私たちは、すべてのことについて立派にふるまいたいと願いながら、明瞭な良心を持っていることを確信しているからです。”

4) 異言で祈る

使徒言行録2:1-4「ペンテコステの日が来ると、彼らはみな一か所に集まっていました。すると突然、天から大風が吹きすさぶような音がして、彼らが座っていた家じゅうに満ちました。そして、火のように分かれた異言が彼らに現れ、ひとりひとりの上にとどまりました。そして、彼らはみな聖霊に満たされ、御霊がことばをお与えになったとおりに、ほかの異言で話し始めた。”

ヤコブ3:8「しかし、舌を飼いならすことは、人間にはできません。それは落ち着きのない悪であり、猛毒に満ちています。”
使徒言行録2:4“すると、彼らはみな聖霊に満たされ、御霊がことばをお与えになったとおりに、ほかの異言で話し始めた。”

使徒言行録19:4-7「パウロは言った『ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けて、後に来られる方、すなわちイエスを信じるようにと人々に告げました。これを聞いて、彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けました。そして、パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らの上に臨まれ、異言を語り、預言をし始めたのです」。

1コリント14:4“舌で語る者は自分を建て上げますが、預言する者は教会を建て上げます。”

1コリント14:14“私が舌で祈っても、私の霊は祈るが、私の心は実らないからである。”

1コリント14:5「さて、私は皆さんに異言を語ってほしいのですが、さらに預言してほしいのです。預言する者は、異言を語る者よりも偉いのです。”誰かが通訳しなければ、教会は建て上げられません。

5) 祈りの順序と内容(マタイ6:9-13)

マタイ6:31-32「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはなりません。あなたがたの天の父は、あなたがたがそれらすべてを必要としていることを知っておられるのです。”

マタイ6:33“しかし、まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらすべてのことがあなたがたに加えられます。”
マタイ6:8-13「彼らのようになってはいけません。そのときは、こう祈りなさい:天にいます私たちの父よ、御名があがめられますように。天にいます私たちの父よ、あなたの御名があがめられますように。私たちの日用の糧を今日もお与えください。また、私たちが債務者を赦したように、私たちの負債をお赦しください。私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください』」。

ヨハネ17:4-6「わたしは地上で、あなたに栄光を帰しました。そして今、父よ、御自身の御前で、世が存在する前からわたしがあなたと共に持っていた栄光をもって、わたしに栄光をお与えください。わたしは、あなたがこの世からわたしに与えてくださった民に、あなたの御名を現しました。彼らはあなたのものであり、あなたが私にお与えになったのです。

マタイ12:28“しかし、もし私が悪霊を追い出すのが神の霊によるのなら、神の国はあなたがたの上に来たのです。”

ヘブル10:9-10「そして、『見よ、私は御心を行うために来たのです』と言われました。主は、第二の御心を確立するために、第一の御心を取り除かれたのです。そして、その御心によって、私たちは、イエス・キリストのからだをきっぱりとささげることによって聖別されたのです。”
マタイ26:39“そして、少し進んで、顔を伏せて祈られた。”わが父よ、もし可能ならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。”ただし、わたしの意のままにではなく、御心のままにです。”
マタイ26:42“また、二度目に、去って行かれ、こう祈られた。”わが父よ、わたしが飲まなければ、この杯が過ぎ去ることができないのなら、みこころのままになりますように”。

ヨハネ6:38-40「わたしが天から下って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の意志を行うためです。わたしをお遣わしになった方の御心、それは、主がわたしにお与えになったすべてのものを、わたしが何一つ失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。子を見て信じる者がみな永遠のいのちを得、わたしがその人を終わりの日によみがえらせること、これがわたしの父の御心なのです。”

1テモテ2:4“すべての人が救われ、真理を知るようになることを望んでおられる方”
第1ヨハネ5:12-16“御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持たない。”だれでも、兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たら、求めなさい。”
コロサイ4:2-3「祈りを堅く続けなさい。同時に、私たちのためにも祈りなさい。”神が、キリストの神秘を宣べ伝えるために、みことばの扉を私たちに開いてくださるように”。

ヨハネ4:34“イエスは彼らに言われた、『わたしの食物は、わたしをお遣わしになった方のみこころを行い、その業を成し遂げるためである』”

ヨハネ4:34「イエスは彼らに言われた、『わたしの食物は、わたしをお遣わしになった方のみこころを行い、そのわざを成し遂げるためである』」。
マタイ4:4“しかし、イエスは答えられた。”人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる “と書いてある。”

マタイ6:14-15“あなたがたが他人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいますが、もし他人の罪を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪を赦してくださいません。”
マタイ18:35“あなたがたが心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父も、あなたがた一人ひとりにそうなさるでしょう。”
そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。”
ヤコブ5:15-16“信仰の祈りは病人を救い、主はその人をよみがえらせます。また、その人が罪を犯したとしても、赦されます。ですから、互いに罪を告白し、いやされるように祈り合いなさい。”
ヨハネ20:23“だれかの罪を赦すなら、その罪は赦され、だれかの赦しを差し控えるなら、差し控えられるのです。”

マタイ26:41「誘惑に陥らないように見張り、祈りなさい。霊は確かに喜んでいるが、肉は弱い。”
ルカ22:40-46“そして、その場所に来て、彼らに言われた。”誘惑に入らないように祈りなさい。”

ルカ6:45“善人はその心の良い宝から善を生み、悪人はその悪い宝から悪を生みます。”

1コリント4:7「あなたがたのうちに、何か変わったものがあると誰が見るでしょうか。あなたがたは、もらっていないものを持っているのですか。もしそれを受けたのなら、なぜ受けていないかのように誇るのですか。”
ローマ11:36“すべてのものは、この方から生じ、この方によって生じ、この方にあるのです。栄光は永遠に彼にあります。アーメン。”

6) 方法

ピリピ4:6“何事についても思い煩わず、すべてのことについて、感謝をもって祈りと願いによって、あなたがたの願いが神に知らされるようにしなさい。”
ヤコブ1:5-6“あなたがたのうちに知恵のない者があれば、非難することなくすべての人に惜しみなく与えてくださる神に願い求めなさい。疑う者は、風に流され、翻弄される海の波のようなものだからです。” マタイ21:22
マタイ21:22“また、祈り求めるものは何でも、信仰があれば、受けるのです。”
マルコ11:24“だから、あなたがたに告げます。” “祈り求めるものは何でも、それを受けたと信じなさい。”

ヨハネ14:13-14“父が子にあって栄光をお受けになるためです。あなたがたがわたしの名によって、わたしに何でも願うなら、わたしはそれをしよう。”
ヨハネ16:23-24“その日には、わたしに何も求めないでしょう。まことに、まことに、あなたがたに言いますが、わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたにお与えになります。今まで、あなたがたは

ルカ11:9“あなたがたに告げます。求めよ、さらば与えられん。求めよ、さらば見出さん。たたけ、さらば開かれん。”
エレミヤ33:3“わたしに呼べば、わたしはあなたに答え、あなたが知らなかった大いなること、隠されたことを告げよう。”

詩篇28:2“助けを求めてあなたに叫び、あなたの最も聖なる聖所に向かって手を上げるとき、憐れみを求める私の嘆願の声を聞いてください。”
列王記上8:54“さて、ソロモンがこのすべての祈りと願いを主にささげ終えると、彼は主の祭壇の前から立ち上がり、両手を天に向かって広げてひざまずいていました。”
詩篇95:6“ああ、来たれ、礼拝し、ひれ伏そう。” “私たちの造り主である主の前にひざまずこう。”
ルカ22:41“そして、石を投げられるほどの所で彼らから離れ、ひざまずいて祈られた。”
使徒言行録9:40“しかし、ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体の方を向いて言った、『タビタよ、起きなさい』。すると、彼女は目を開け、ペテロを見て立ち上がりました。”
使徒言行録20:36“そして、これらのことを言うと、ひざまずいて、一同と共に祈られた。”
使徒21:5“そこでの日々が終わると、私たちは出発して旅に出ましたが、彼らはみな、妻子を連れて、町の外に出るまで私たちに同行していました。そして、浜辺にひざまずいて祈りました。”

ルカ18:7-8「神は、昼も夜も叫んでおられるその選民たちに、正義をお与えにならないのですか。彼らのために長く待たれるのでしょうか。あなたがたに告げますが、神は彼らに速やかに正義をお与えになります。それにもかかわらず、人の子が来たとき、地上で信仰を見いだせるでしょうか。”

マタイ6:6「しかし、祈るときには、自分の部屋に入って戸を閉め、内におられるあなたがたの父に祈りなさい。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたがたの父が、報いてくださいます。”

1テサロニケ5:17“絶え間なく祈りなさい”
ルカ18:1“そして、彼らにたとえを話されました。” “常に祈って、心を失ってはならない “という趣旨のことを。
ルカ21:36“しかし、常に目を覚ましていなさい。” “これから起こるすべての事柄から逃れ、人の子の前に立つ力があるように祈りなさい。”
ダニエル書6:13“そこで、彼らは答えて王の前で言った、「ユダからの流刑者の一人であるダニエルは、王よ、あなたにも、あなたが署名した禁止令にも注意を払わず、一日に三度、請願をします」。”
使徒言行録3:1“さて、ペテロとヨハネは祈りの時間、九時に神殿に上っていました。”
使徒言行録10:9“翌日、旅の途中、町に近づいたので、ペテロは六時ごろ、祈るために家の屋上に上って行った。”
使徒16:16“祈りの場所に行こうとすると、占いの霊を持ち、占いによって所有者に多くの利益をもたらす奴隷の娘に出会いました。”

サムエル記上12:23“また、私としては、あなたがたのために祈るのをやめて 、主に対して罪を犯すようなことがあってはなりません。” “私は、あなたがたに善い道と正しい道を教えましょう。”

7) 時間

詩篇46:5“神は彼女の真ん中におられる、彼女は動かされない、朝が明けるとき、神は彼女を助けられる”
詩篇88:13“しかし、主よ、わたしはあなたに叫び求めます。””朝、わたしの祈りはあなたの前に現れます。”

箴言8:17“わたしは、わたしを愛する者を愛し、わたしを熱心に求める者は、わたしを見いだす。”

創世記1:5“夕べがあり、朝があった。”
創世記1:31“夕べがあり、朝があった、六日目”

出エジプト記14:24“朝の見張りのとき、主は火と雲の柱でエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をパニックに陥れた。”
出エジプト記14:27“そこで、モーセが手を海の上に伸ばしたので、朝が現れると、海は元の流れに戻った。エジプト人がその中に逃げ込むと、主はエジプト人を海の中に投げ込まれた。”

出エジプト記16:13-14「夕方になると、うずらが上って来て宿営を覆い、朝になると、露が宿営の周りにあった。露が上がると、荒野のおもてに、地面の霜のように細かい、薄片のようなものがあった。”
出エジプト記16:21“朝ごとに、彼らはそれを集め、それぞれ食べられるだけ食べたが、日が熱くなると、溶けてしまった。”

マタイ28:1“さて、安息日が過ぎて週の初めの日の明け方、マグダラのマリアとほかのマリアとが墓を見に行きました。”
マルコ16:2“週の初めの日の非常に早く、日が昇ってから、彼らは墓に行った。”
ルカ24:1“しかし、週の初めの日の明け方、彼らは用意しておいた香料を持って墓に行った。”
ヨハネ20:1“さて、週の初めの日、マグダラのマリヤは、まだ暗いうちに早く墓に来て、墓から石が取り除かれているのを見た。”

使徒言行録5:21“これを聞いて、彼らは夜明けに神殿に入り、教え始めた。”

黙示録22:16「私、イエスは、諸教会のために、これらのことをあなたがたに証しするために、私の天使を遣わしました。わたしはダビデの根であり子孫であり、明るい朝の星です。”

8)結果

マタイ7:11“もし悪人であるあなたがたが、自分の子供たちに良い贈り物を与える方法を知っているなら、天におられるあなたがたの父は、求める者にどんなに良いものを与えてくださることでしょう。”
ルカ11:13“悪人であるあなたがたが、自分の子供たちに良い贈り物を与える方法を知っているのなら、天の父は、どんなに多く、求める者に聖霊をお与えになることでしょう。”
ヨハネ14:16-17“わたしが父に願い求めると、父はもうひとりの助け主をあなたがたに与え、とこしえに共にいてくださるでしょう。あなたがたは彼を知っています。

使徒言行録2:41“それで、みことばを受けた人々はバプテスマを受け、その日、約三千人の魂が加えられました。”

使徒言行録2:42“そして、使徒たちの教えと交わりと、パンを裂くことと祈りとに、身をささげた。”

ヤコブ4:2-3「あなたがたは欲しがっても手に入らないので、殺人を犯します。あなたがたは、欲しがっても手に入らないので、争い、けんかをします。あなたがたは求めないから、持たないのです。あなたがたは、それを自分の情欲のために使おうとして、間違った求め方をするからです。”

詩篇66:18“もし私が心に不義を抱いていたなら、主は耳を傾けてくださらなかったでしょう。”

4.按手

民数記27:23“主がモーセを通して指示されたとおりに、彼は彼に手を置いて、彼に委託しました。”

使徒言行録6:6“彼らは使徒たちの前に置き、祈って手を置いた。”
使徒13:3“それから、断食して祈った後、彼らに手を置いて送り出した”
使徒14:23“そして、祈りと断食とをもって、すべての教会で彼らのために長老を任命した後、彼らを信じた主に委ねた”

申命記34:9“ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていました。” モーセが彼に手を置いたからです。
使徒言行録8:17“それから、彼らが彼らに手を置いたので、彼らは聖霊を受けた。”
使徒19:6“パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らの上に臨まれ、彼らは異言を語り、預言し始めた。”
1テモテ4:14“長老会議があなたがたに手を置いたとき、預言によって与えられた賜物を、ないがしろにしてはなりません。”

1テモテ4:14“長老会議があなたがたに手を置いたとき、預言によってあなたがたに与えられた賜物を、ないがしろにしてはなりません。”
2テモテ1:6“このようなわけで、わたしは、手を置くことによってあなたがたのうちにある神の賜物を、燃え立たせるように、あなたがたに言っておくのです。”

マルコ6:5“彼はそこで、数人の病人に手を置いていやしたほかは、何の力あるわざもなしえなかった。”
マルコ16:18“彼らは病人に手を置くと、回復する”
ルカ4:40“さて、日が沈むころ、いろいろな病気で病んでいる者がいる者はみな、彼のところに連れて来たので、彼はその一人一人に手を置いていやされた。”
ルカ13:13“そして、その手を彼女に置くと、たちまち彼女はまっすぐになり、神をあがめた。”
使徒言行録9:17“そこで、アナニヤは出発して、その家に入りました。そして手を置いて言った、『兄弟サウロ、あなたが来た道で現れた主イエスが、あなたが視力を取り戻し、聖霊に満たされるようにと、わたしを遣わされたのです』」。
使徒言行録28:8「たまたま、プブリウスの父が熱病と赤痢で病床に伏していました。パウロは彼を訪ねて祈り、手を置いていやした。”

マタイ19:15“そして、彼らに手を置いて立ち去った。”
マルコ10:16“そして彼らを腕に抱き、手を置いて祝福された。”
創世記48:14“イスラエルは右の手を伸ばして、年少のエフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いて、手を交差させた。” マナセは長子であったから。
レビ記9:22“それから、アロンは民に向かって手を上げて彼らを祝福し、罪の捧げ物、焼燔の捧げ物、平和の捧げ物をささげて降りて来た。”

レビ記16:21「アロンは両手を生きた山羊の頭に置き、イスラエルの民のすべての咎と、彼らのすべての罪過と、彼らのすべての罪とをその上に告白しなさい。そして、それを山羊の頭につけ、用意のある人の手によって、荒野に追い払わなければならない。”

5.断食

ヨエル2:12“今もなお、主は宣言されます。” “断食し、泣き、嘆きながら、心を尽くして私のもとに帰りなさい。”

ヨエル2:13「そして、あなたがたの心を裂き、衣を脱ぎ捨てなさい。あなたの神、主のもとに帰れ。主は恵み深く、憐れみ深く、怒るのにおそく、堅固な愛に富み、災いをゆるされるからである。”

ヨエル2:28“その後、わたしはすべての肉なる者にわたしの霊を注ぎ、あなたがたの息子、娘たちは預言し、あなたがたの年老いた者は夢を見、若い者は幻を見るであろう。”
ヨエル2:29“そのころ、男と女のしもべにも、わたしはわたしの霊を注ぐ。”

使徒言行録9:9“彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともありませんでした。”

サムエル記上7:6“そこで彼らはミズパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日断食して、そこで『私たちは主に対して罪を犯しました』と言った。”

エズラ記8:21“そこで、私はアハヴァ川で断食を宣言しました。” “それは、私たちの神の前にへりくだって、私たち自身と私たちの子供たち、そして私たちのすべての財産の安全な旅を神に求めるためです。”

イザヤ58:8-9「その時、あなたの光は夜明けのように輝き、あなたのいやしはすみやかに湧き出で、あなたの義はあなたの前を行き、主の栄光はあなたの後衛となる。そのとき、あなたがたは呼べば、主は答えられ、あなたがたは叫べば、主は『ここにいる』と言われる」。
詩篇35:13“しかし、私は、彼らが病んでいた時、袋帯をまとい、断食して苦しみ、頭を胸に下げて祈りました。”

マタイ4:2“四十日四十夜断食した後、彼は空腹になりました。”

マタイ17:21“しかし、このようなことは、祈りと断食によらなければ決して出てきません。”

マタイ6:17-18「しかし、断食をするときには、頭に油を注ぎ、顔を洗いなさい。そして、ひそかに見ておられるあなたがたの父が、あなたがたに報いてくださいます。”

6.聖書

2テモテ3:16-17“すべての聖句は神によって吹き出されたもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とに有益です。”
2ペテロ1:21“預言は、人の意志によって生み出されたものではなく、聖霊に導かれて、人が神から語ったのです。”

ヨハネ5:39“あなたがたが聖書を探すのは、その中に永遠の命があると思うからです。” “わたしについて証ししているのは、聖書なのです。”
ルカ24:27“そして、モーセとすべての預言者から始めて、すべての聖書の中で、自分に関することを彼らに解釈されました。”
ルカ24:44“それから、彼らに言われた。”これらは、わたしがまだあなたがたと共にいたとき、わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇に書かれていることがすべて成就するようにと、あなたがたに話したわたしのことばです。”

詩篇119:105“あなたの御言葉は私の足のともしび、私の道の光です。”

ヘブル4:12“神のことばは、生きていて活動的であり、どんな両刃の剣よりも鋭く、魂と霊と関節と骨髄の分裂まで刺し通し、心の思いや意図を見分けるからです。”

使徒言行録8:30-31「そこで、フィリポは彼のところに走って行って、彼が預言者イザヤ書を読んでいるのを聞き、『読んでいることが分かりますか』と尋ねた。すると彼は言った、『だれかが導いてくれなければ、どうしてわかるでしょうか』」。

2ペテロ3:16“その中には、理解しがたいことがあります。” “それは、無知で不安定な者たちが、他の聖書と同じように、自分たちを滅ぼすためにねじ曲げているのです。”

ヨハネ4:34「イエスは彼らに言われた『わたしの食物は、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、そのわざを成し遂げるためである』」。
マタイ4:4“しかし、彼は答えた。”人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる “と書いてあります。”

イザヤ55:11“わたしの口から出るわたしのことばは、空しくわたしのもとに帰ることはなく、わたしの意図することを成し遂げ、わたしがそれを遣わした目的を成功させる。”

使徒17:11“さて、これらのユダヤ人たちは、テサロニケの人たちよりも立派で、熱心にみことばを受け入れ、これらのことが本当かどうか、毎日聖書を調べていました。”

1テサロニケ2:13“また、私たちから聞いた神のことばを、あなたがたは、人のことばとしてではなく、あなたがたの信者のうちに働いている神のことばとして受け入れたのです。”

ヨハネの黙示録1:3“この預言の言葉を声に出して読む者は幸いであり、聞く者は幸いであり、そこに書かれていることを守る者は幸いである。”時は近い。

マタイ13:13 “私が彼らにたとえで話すのはこのためです。” “彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、理解しないからです。”

7.賞賛

イザヤ43:21“わたしの賛美を宣言するために、わたしが自分のために造った民”

エフェソの信徒への手紙1:6“愛する者のうちに私たちを祝福してくださった、その輝かしい恵みをほめたたえるために”

詩篇42:5「わが魂よ、なぜあなたは打ちひしがれ、なぜ私のうちで乱れているのか。私の救いである神を、私は再びほめたたえるからです。”

詩篇56:4“その言葉をほめたたえる神に、私は信頼します。私は恐れない。
詩篇40:3“主は私の口に新しい歌を、私たちの神を賛美する歌を入れられました。多くの人が見て恐れ、主に信頼を置くでしょう。”

使徒言行録16:26「突然、大きな地震があり、牢の土台が揺れ動きました。すると、たちまちすべての戸が開かれ、すべての人の縛りが解かれた。”

第二歴代誌20:21“彼は民と相談して、軍に先立ち、聖なる服装で、主に向かって歌い、主をほめたたえる者を任命した。”その不動の愛はとこしえに続くので、主に感謝せよ。

サムエル記上16:23「神からの有害な霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を取り、手でそれを弾きました。それで、サウルは元気を取り戻し、よくなり、害霊は彼から去った。”

詩篇47:1「すべての民よ、手を打ち鳴らせ!喜びの大声で神に叫べ!”
詩篇149:3“踊りをもって御名をほめたたえ、タンバリンと竪琴をもって神に向かって旋律を奏でよ!”
詩篇150:3-5“ラッパの音で主をほめたたえ、リュートとハープで主をほめたたえなさい!タンバリンと踊りをもって主をほめたたえ、弦とパイプをもって主をほめたたえなさい!鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。けたたましく鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。”
詩篇134:2“聖なる所に手を上げて主を祝福せよ!”
第二歴代誌5:13“主への賛美と感謝のために、ラッパと歌い手とが声を合わせて声を出すのは、ラッパとシンバルとその他の楽器とで、歌が高まると、主への賛美のために…”

詩篇68:19“日々私たちを支えてくださる主に祝福あれ、神は私たちの救いです。”
詩篇145:2“日々、私はあなたを祝福し、とこしえにあなたの御名をほめたたえます。”

詩篇119:164“私は一日に七度、あなたの正しい規則を賛美します。”

8.礼拝

ヨハネ4:23-24 「しかし、真の礼拝者が霊とまことをもって父を礼拝する時が来る、そして今、その時が来ているのです。神は霊であり、神を礼拝する者は霊とまことをもって礼拝しなければなりません。”

ローマ12:1“ですから、兄弟たちよ、神の憐れみによって、あなたがたのからだを、聖なる、神に受け入れられる生きたいけにえとしてささげること、これがあなたがたの霊的な礼拝であることを訴えます。”

ヨハネ1:29“見よ、世の罪を取り除く神の小羊よ!”
黙示録5:12“殺された小羊は、力と富と知恵と力と誉れと栄光と祝福とを受けるにふさわしい!”

出エジプト記29:37「七日間、あなたは祭壇のために贖罪を行い、これを聖別しなければならない。祭壇に触れるものはすべて聖なるものとなる”
レビ記8:15“彼はこれを屠り、血を取り、指でそれを祭壇の角の四方につけて、祭壇を清めた。”

ガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。そして、今、私が肉のうちに生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって生きているのです。”

ローマ6:6“私たちは、罪のからだを無にして、もはや罪の奴隷とならないために、私たちの古い自分が彼とともに十字架につけられたことを知っています。”

マタイ15:9“彼らは、人の戒めを教義として教えながら、私を拝んでもむなしい。”
イザヤ29:13“主は言われた、「この民は、口では近づき、くちびるではわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れており、わたしを恐れるのは、人が教えた戒めだからである」。”

ヨハネの黙示録19:8“彼女に与えられたのは、明るく清らかな上質の麻布を身にまとうことでした。”上質の麻布とは、聖徒の正しい行いのことです。
詩篇29:2“主にその名にふさわしい栄光を帰し、聖なる輝きのうちに主を礼拝しなさい”
マタイ22:12“彼は彼に言った、「友よ、婚礼の衣を着ないで、どうしてここに入ったのですか。彼は言葉を失いました。”

黙示録7:14“彼らは衣を洗い、小羊の血で白くした”

第二歴代誌29:30“彼らは頭を下げて拝んだ”
ヨブ記1:20“それからヨブは立ち上がり、衣を裂いて頭をそり、地にひれ伏して拝んだ。”
マタイ2:11“家の中に入ると、彼らは母マリアと一緒にいるその子を見て、ひれ伏して拝んだ。”

詩篇96:9“聖なる美しさのうちに主を崇めよ、全地よ、主の御前に震え上がれ”

9.提供

出エジプト記23:15“誰も手ぶらで私の前に現れてはならない”

詩篇96:8“主にその名にふさわしい栄光を帰し、供え物を持って、その宮廷に入りなさい。”
マタイ2:11“家の中に入ると、彼らは幼子が母マリアと一緒にいるのを見て、ひれ伏して拝んだ。そして、宝物を開いて、金、乳香、没薬を献げた。”

マタイ6:21“あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。”

マタイ6:24「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛するか、一方に尽くして他方を軽んじるかのどちらかだからです。神とお金に仕えることはできません。

ハガイ2:8“銀はわたしのもの、金はわたしのものだと万軍の主は宣言されます。”
1コリント4:7“あなたがたは、受けなかったものを持っているのですか。もしそれを受けたのなら、なぜ受けなかったかのように誇るのですか。”
1ペテロ4:10“それぞれが賜物を受けたように、神のさまざまな恵みの善い管理者として、互いに仕え合うためにそれを用いなさい。”

レビ記27:30“土地のすべての什分の一は、土地の種であれ、木の実であれ、主のものであり、主にとって聖なるものである。”

マラキ3:7-8「私のもとに帰れ。しかし、あなたがたは言う、『どのようにして帰ろうか』と。人は神から奪うでしょうか。しかし、あなたがたは私から奪っているのです。しかし、あなたがたは言う、『私たちはどのようにあなたから奪ったのか』と。あなたがたの什分の一と献金においてです。”

マラキ3:10「わたしの家に食物があるように、什分の一をすべて倉に納めなさい。そうすれば、わたしは、あなたがたのために天の窓を開き、あなたがたのために、必要がなくなるまで祝福を注ごうとしないか、万軍の主は言われる。”

出エジプト記13:2「すべての初子をわたしに奉献しなさい。イスラエルの民のうちで最初に胎を開いたものは、人も獣も、すべてわたしのものである。”
出エジプト記23:19“あなたがたの地の初穂のうちで最も良いものを、あなたがたの神、主の家に納めなければならない。”

コリントの信徒への手紙二9:7“神は喜んで与える人を愛してくださるからです”。

使徒言行録4:32“さて、信じた者たちの数は、みな心を一つにしており、だれ一人、自分のものを自分のものだと言う者はなく、すべてのものを共有していました。”

2コリント8:2-3「厳しい苦難の試練の中で、彼らの豊かな喜びと極度の貧しさとが、彼らの側の豊かな寛大さとなってあふれ出たからです。彼らは、私が証しできるように、身の丈に応じて、また身の丈を超えて、自分の意志で施したからです。”

10.伝道

マルコ16:15“そして、彼らに言われた。”全世界に行って、全被造物に福音を宣べ伝えなさい。”

ローマ10:9“イエスは主であると口で告白し、神がイエスを死者の中からよみがえらせたと心で信じるなら、あなたがたは救われるからです。”

マタイ10:32“だから、人の前でわたしを認める者は皆、天におられるわたしの父の前でも認め、33 人の前でわたしを否定する者は皆、天におられるわたしの父の前でも否定します。”

エレミヤ20:9“もし私が、「わたしはこれ以上、彼に言及せず、彼の名によって語らない」と言うなら、私の心には、あたかも燃え盛る炎が骨の中に閉じこもっているようなもので、それを押さえるのに疲れ果て、できないのです。”

ローマ1:14「私は、ギリシヤ人にも野蛮人にも、賢い人にも愚かな人にも、義務を負っています。15 ですから、ローマにいるあなたがたにも福音を告げ知らせたいと思っています。”

ローマ1:16 “福音は、信じるすべての人にとって、まずユダヤ人にとって、またギリシア人にとっても、救いのための神の力だからです。”

ヨハネ12:24“まことに、まことに、あなたがたに告げます。”一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。

ヨハネ12:25“自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は永遠の命のためにそれを保つ”

使徒言行録20:24“しかし、私は、神の恵みの福音を証しするために、主イエスから受けた務めと、自分の歩みを終えることさえできれば、自分の命に何の価値もなく、また、自分にとって尊いものとも思いません。”

2コリント4:5“私たちが宣言するのは、私たち自身ではなく、イエス・キリストを主とし、イエスのために私たち自身があなたがたのしもべとなることなのです。”

ルカ14:23“主人はしもべに言った、『わたしの家が満ちるように、街路や垣根に出て行って、人々を押し込めなさい』。

ルカ15:7“だから言っておくが、悔い改める必要のない九十九人の義人よりも、悔い改める一人の罪人のほうが、天国では喜びが大きいのです。”

マタイ16:26「人は、全世界を得ても、自分のたましいを失ったら、何の得があろうか。また、自分の魂の代りに何を与えようか。”

1コリント9:16「私が福音を宣べ伝えても、それは私に誇る根拠を与えないからです。私が福音を宣べ伝えなければ、災いになるでしょう。私が福音を宣べ伝えないなら、災いです。”
エゼキエル3:18“わたしが悪人に向かって、『あなたは必ず死ぬ』と言うのに、あなたがその悪人に何の警告も与えず、また、その命を救うために、悪人をその悪い道から戒めようと語ることもしないなら、その悪人はその咎のために死ぬ。

ダニエル書12:3“また、知恵ある者は天の輝きのように輝き、多くの人を義に導く者は、いつまでも星のように輝く”

1歴代誌16:23「全地よ、主に向かって歌え!その救いを日々に告げよ。”
詩篇96:2“主に向かって歌え、その名を祝福せよ。” “日々主の救いを告げよ。”

11.チャリティー

ルカ11:41「しかし、内にあるものを施しとして与えなさい。

1ヨハネ3:17“しかし、だれでもこの世の財を持ち、兄弟が困っているのを見て、その人に対して心を閉ざすなら、神の愛がどうしてその人のうちにとどまるでしょうか。”

1テモテ5:10“また、善い行いについて評判があり、子どもを育て、もてなしをし、聖徒たちの足を洗い、苦しんでいる人々を世話し、あらゆる善い行いに身をささげている人です。”

マタイ19:21“完全な者になりたいなら、行って、自分の持っているものを売り、貧しい人に施しなさい。

ルカ12:33「自分の持ち物を売って、貧しい人々に与えなさい。盗人も寄らず、蛾も滅ぼさない天の宝を備えなさい。”

マタイ6:3-4「しかし、貧しい人に施すときは、左の手に右の手のしていることを知らせないようにしなさい。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたがたの父が、報いてくださいます。”

E.神の掟の使用

1.キリストによって完成され、確立された律法

マタイ22:37-40「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが偉大な第一の戒めです。第二の戒めもこれに似ています:隣人を自分のように愛しなさい。この二つの戒めに、すべての律法と預言者がかかっているのです。”

ローマ5:8“しかし、神は、私たちがまだ罪人であったときに、キリストが私たちのために死んでくださったということで、私たちへの愛を示しておられます。”

マタイ5:17“わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためだと思わないでください。” “わたしが来たのは、それらを廃止するためではなく、成就させるためです。”

ローマ3:31「では、私たちはこの信仰によって律法を打ち倒すのでしょうか。決してそうではありません!それどころか、私たちは律法を支持するのです。”

ローマ13:10“愛は隣人に対して悪を行いません。” “ですから、愛は律法の成就です。”
ガラテヤ5:14“律法全体は、「あなたがたは、隣人を自分のように愛さなければならない」という一言のうちに成就するのです。”

ヨハネ13:34“わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。”

ヨハネ13:35“互いに愛し合うなら、このことによって、あなたがたはわたしの弟子であると、すべての人が知るでしょう。”

ヨハネ14:15“わたしを愛するなら、わたしの戒めを守るでしょう。”
ヨハネ14:23“だれでもわたしを愛するなら、わたしのことばを守り、わたしの父はその人を愛してくださるでしょう。”

ヨハネ14:23“だれでもわたしを愛するなら、わたしの言葉を守り、わたしの父はその人を愛してくださるでしょう。”

第一ヨハネ4:20“「私は神を愛している」と言いながら、兄弟を憎む者がいれば、その者は偽り者です。” “自分の見た兄弟を愛さない者は、自分の見ていない神を愛することができないからです。”

1ヨハネ3:17-18「しかし、だれでも、この世の財を持ち、兄弟が困っているのを見て、その人に対して心を閉ざしているなら、神の愛がその人のうちにとどまるでしょうか。幼な子たちよ、言葉や口先だけで愛するのではなく、行いとまことをもって愛しましょう。”

2.キリストによって廃止された律法

ヘブル7:18“一方では、かつての戒めは、その弱さと無用さのゆえに、脇に置かれているのです。”
ヘブル9:10“しかし、食べ物や飲み物、さまざまな洗い物については、改革の時まで課せられていた体のための規則だけを扱いなさい。”

ヘブル9:24“キリストは、真のものの模造である手で造られた聖なる場所ではなく、天そのものに入られ、今や私たちに代わって神の御前に現れるためなのです。”
ヘブル10:1“律法は、来るべき善きものの真の姿ではなく、その影にすぎないのですから、毎年絶えずささげられる同じいけにえによって、近づく者を完全にすることは決してできません。”
ヘブル10:4“雄牛や雄やぎの血で罪を取り除くことは不可能だからです。”
ヘブル10:9-10“主は、第二のものを確立するために、第一のものを取り除いてくださいます。そして、その御心によって、私たちは、イエス・キリストのからだをきっぱりとささげることによって聖別されたのです。”

エペソ2:14-15“この方ご自身が私たちの平和であり、私たちを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を打ち壊し、儀式に表わされた戒めの律法を廃して、二人の代わりに一人の新しい人を造り、平和を実現されたのです。”

ガラテヤ3:28“ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。” “あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つなのです。”

ルカ13:30“見よ、ある者は最後になり、ある者は最後になる”

3.法律の機能

ローマ人への手紙3:20“律法の業によって、人間がその目に義と認められることはないからです。”

ガラテヤ3:24“ですから、キリストが来られるまでは、信仰によって義とされるために、律法は私たちの保護者だったのです。”

1コリント9:21“律法の外の人たちを勝ち取るために、私は律法の外の者となりました(神の律法の外にいるのではなく、キリストの律法の下にいるのです)。”

1コリント5:11“しかし、今、私は、兄弟と名乗る者であっても、性的不品行や貪欲の罪を犯している者、偶像礼拝者、反逆者、酒飲み、詐欺師であれば、そのような者と交際しないように、また、そのような者と一緒に食事をしないようにと、あなたがたに書いているのです。”
1コリント5:13“あなたがたのうちから悪人を祓い去りなさい。”

1コリント6:9-10「あなたがたは、不義を行う者が神の国を受け継ぐことはないことを知らないのですか。性的に不道徳な者も、偶像礼拝をする者も、姦淫を行う者も、同性愛を行う者も、泥棒も、貪欲な者も、酒飲みも、逆上する者も、詐欺師も、神の国を受け継ぐことはありません。”
ガラテヤ5:19-21「さて、肉の業は明らかです。性的不品行、不品行、官能、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、ねたみ、怒りの爆発、争い、分裂、ねたみ、泥酔、乱交、これらのようなものです。前に警告したように、あなたがたに警告します。”そのようなことをする者は、神の国を受け継ぐことはできません。”
黙示録21:8“しかし、臆病な者、信仰のない者、憎むべき者、人殺し、性的に不道徳な者、魔術師、偶像礼拝者、すべてのうそつきについては、彼らの分け前は火と硫黄とで燃える池にあり、それは第二の死です。”
黙示録22:15“外にいるのは、犬、魔術師、性的に不道徳な者、人殺し、偶像礼拝者、偽りを愛し、実践するすべての者です。”

1ヨハネ2:4“「私はこの方を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。”

マタイ19:17-19「命にあずかりたければ、戒めを守りなさい。[殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、父と母を敬い、隣人を自分のように愛しなさい。”

4.十戒

1) あなたは、わたしの前に他の神々を持ってはなりません。

使徒言行録4:12“救いは、ほかのだれにもありません。” “天の下で、私たちが救われるべき名は、人の間にほかに与えられていないからです。”
ヨハネ14:6-7「イエスは彼に言われた、『わたしが道であり、真理であり、命である。わたしを通してでなければ、だれも父のもとに行くことはできません。もしあなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。今から、あなたがたは父を知り、父を見たのです』」。

1テモテ6:9-10「しかし、金持ちになりたいと願う人は、誘惑に陥り、わなにかかり、人を破滅と滅びに陥れる多くの無意味で有害な欲望に陥ります。10 金銭を愛することは、あらゆる悪の根源だからです。この渇望によって、信仰から離れ、多くの苦しみに身をさらす者がいるからです。”
1テモテ3:3“酒飲みでなく、乱暴でなく、穏やかで、けんかをせず、金銭を愛する者ではありません。”
2テモテ3:1-2「しかし、終末の日には困難の時が来るということを、よく理解しておきなさい。2 人々が、自分を愛し、金銭を愛し、高慢で、傲慢で、乱暴で、親に従わず、恩知らずで、不潔な者となるからです。”
ヘブル13:5“金銭を愛することのない生活を保ち、自分の持っているもので満足しなさい。”主は、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われたからです。
伝道の書7:12“知恵の守りは金銭の守りと同じであり、知識の長所は、知恵がそれを持つ者の命を守ることである”
ヨハネの福音書10:28“わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びることがなく、だれもわたしの手から彼らを奪い取ることはない。”

マタイ6:24「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛するか、一方に尽くして他方を軽んじるかのどちらかだからです。神とお金に仕えることはできません。”
マラキ3:7-8「私のもとに帰れ。しかし、あなたがたは言う、『どのようにして帰ろうか』と。人は神から奪うでしょうか。しかし、あなたがたは私から奪っているのです。しかし、あなたがたは言う、『私たちはどのようにあなたから奪ったのか』と。あなたがたの什分の一と献金においてです。”

2) 偶像を作ってはなりません。

サムエル記上15:23“反逆は占いの罪のようであり、思い上がりは不義と偶像礼拝のようだからです。”

ローマ1:22-23“賢いと言いながら、愚かな者となり、不滅の神の栄光を、死すべき人間や鳥や動物や這うものに似た像と取り替えました。”

ヨハネの黙示録13:18“これは知恵を求めるものです。理解する者に、獣の数を計算させなさい。”それは人の数であり、その数は666です。

コロサイの信徒への手紙3:5“ですから、あなたがたのうちにある地上のもの、すなわち、性的不品行、不純、情熱、邪悪な欲望、偶像礼拝である貪欲を捨てなさい。”

3) 主の名を偽ってはなりません。

レビ記19:12「わたしの名を偽って誓ってはならない:わたしは主である。”

ローマ2:24“『あなたがたのゆえに、神の名は異邦人の間で冒涜されている』と書いてあるとおりです。”

詩篇18:49“主よ、このゆえに、私は国々の間であなたをほめたたえ、あなたの御名に向かって歌います。”
詩篇20:7“ある者は戦車を、ある者は馬を信じますが、私たちは私たちの神、主の御名を信じます。”
詩篇30:4“主の聖徒たちよ、主をほめ歌い、その聖なる御名に感謝せよ。”
詩篇34:3“ああ、私と共に主をあがめ、共に御名をあがめよう”
詩篇44:5“あなたによって、私たちは敵を押し倒し、あなたの御名によって、私たちに逆らう者を踏みつけます。”
詩篇86:11-12“主よ、あなたの道を教えてください。12 私の神、主よ、私は心を尽くしてあなたに感謝し、あなたの御名をとこしえにあがめます。”
コロサイ3:17“また、ことばでも行いでも、何をするにも、すべて主イエスの名によって行い、主イエスを通して父なる神に感謝しなさい。”

4) 安息日を覚えて、それを聖としなさい。

コロサイ2:16-17「ですから、食べ物や飲み物の問題、祭りや新月や安息日について、だれもあなたがたに裁きを下してはなりません。これらは来るべきものの影であって、実体はキリストに属するのです。”
ヘブル4:8-11「もしヨシュアが彼らに安息を与えていたなら、神は後に別の日について語られることはなかったでしょう。9 だから、神の民には安息日が残されているのです。10 神の安息日に入った者は、神が自分の安息日を休まれたように、自分のわざをも休んだのです。11 だから、私たちは、同じような不従順によって倒れることのないように、その安息に入るように努めましょう。”

詩篇118:22-24「建てる者が拒んだ石が礎となりました。主が造られたこの日を喜び、喜ぼうではありませんか。”
ヘブル4:8 「もしヨシュアが彼らに安息を与えていたなら、神は後に別の日について語られることはなかったでしょう。9 だから、神の民には安息日が残っているのです、

5) 父と母を敬いなさい。

エフェ6:2-3 “あなたの父と母を敬いなさい”(これは約束のある最初の戒めです)。

マタイ12:50 “天におられるわたしの父のみこころを行う者は、だれでもわたしの兄弟、姉妹、母なのです。”

1コリ4:14-16「私がこれらのことを書くのは、あなたがたを恥ずかしくさせるためではなく、あなたがたを私の愛する子として戒めるためです。あなた方には、キリストにあって数え切れないほどの導き手がありますが、多くの父親がいるわけではありません。わたしは福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたの父となったのです。だから、私に倣う者となりなさい。”
ガラ4:19“私の幼な子たちよ、あなたがたのうちにキリストが形づくられるまで、私はまた産みの苦しみの中にいるのです。”
1テモ1:2“信仰にある私のまことの子、テモテへ:父なる神と私たちの主キリスト・イエスからの恵みとあわれみと平和を。”
列王記下2:12“エリシャはそれを見て、こう叫びました!イスラエルの戦車とその騎兵たちよ。そして、彼はもう彼を見ませんでした。そして、自分の着物をつかんで、二つに裂いた。”

6) 殺人をしてはなりません。

1ヨハネ3:15 “兄弟を憎む者はみな人殺しです。” “人殺しには永遠の命が宿っていないことを、あなたがたは知っています。”

マタイ5:21-22 「あなたがたは、昔の人たちに『人を殺してはならない。しかし、あなたがたに言っておくが、兄弟に腹を立てる者はみなさばきを受け、兄弟を侮辱する者は評議を受け、『愚か者め!』と言う者は火の地獄を受けるのです。”

マタイ10:36-38 「また、人の敵は自分の家の者となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくなく、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくありません。また、自分の十字架を負ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくありません。”

7) 姦淫してはなりません。

マタイ5:28 「しかし、あなたがたに言っておくが、欲情して女を見る者はみな、心の中ですでにその女と姦淫を犯しているのです」。

マタイ5:32“しかし、あなたがたに言いますが、性的不品行を理由とするのでなければ、自分の妻と離婚する者はみな、その妻を姦淫の罪に陥れ、離婚した女と結婚する者は姦淫の罪を犯します。”
マルコ10:9-12“それゆえ、神が結び合わせたものを、人が引き離してはなりません。”そこで、弟子たちは家の中で、このことについて、また彼に尋ねました。そして、弟子たちに言われた、”自分の妻と離婚して他の者と結婚する者は、その妻に対して姦淫を犯し、また、その夫と離婚して他の者と結婚する者は、姦淫を犯す”。

マレ2:16「妻を愛さず、離婚する者は、その衣を暴力で覆う、と万軍の主、イスラエルの神は言われます。だから、あなたがたは自分の霊を守り、不実であってはなりません。”
マルコ10:7-12「それゆえ、人はその父と母とを離れ、妻を堅く結び、二人は一つの肉となります。そうすれば、二人はもはや二人ではなく、一つの肉となるのです。それゆえ、神が結ばれたものを、人が引き離してはなりません。”家の中で、弟子たちはこのことについて、また彼に尋ねました。そして、弟子たちに言われた、”自分の妻と離婚して他の人と結婚する者は、その妻に対して姦淫を犯し、また、夫と離婚して他の人と結婚する者は、その妻に対して姦淫を犯す”。
1コリ7:10-11“結婚している人たちに(私ではなく、主が)このように告げます。”妻は夫と別れてはならず(別れても未婚のままでいるか、夫と和解すべきです)、夫は妻と離婚してはなりません。”

8) 盗んではいけません。

レビ19:9-10「自分の土地の収穫を刈り取るとき、自分の畑をその端まで刈り取ってはならず、また、収穫後の刈りかすを集めてはなりません。また、あなたのぶどう畑を裸にしてはならず、あなたのぶどう畑の落ちたぶどうを集めてはなりません。あなたはそれを貧しい者と寄留者のために残しておきなさい:わたしはあなたの神、主である。”
申命記14:28-29「三年ごとの終わりに、あなたがたはその年に収穫したすべての什分の一を持ち出し、あなたがたの町々に積み上げなさい。また、レビ人は、あなたがたに分与も嗣業もないので、あなたがたの町内にいる寄留者、父なき者、寡婦は、あなたがたの神、主が、あなたがたの行うすべての手のわざにおいて、あなたがたを祝福されるために、来て食べ、満たされなければならない。”
申命記24:19-22「あなたが畑で収穫を刈り取り、一束を畑に忘れても、あなたはそれを取りに帰ってはならない。あなたのオリーブの木を打つとき、あなたはそれを再び越えてはなりません。あなたのぶどう畑のぶどうを集める時、あなたはそれを後から剥ぎ取ってはならない、それは寄留者、父のない者、やもめのためでなければならない」。あなたはエジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。

イザ3:14 “主は、その民の長老たちや君主たちと裁きに入られる。”ぶどう園を食い荒らしたのはあなたたちであり、貧しい者たちの戦利品があなたたちの家にある”。

使徒言行録2:44-45「信じた者たちはみな一緒にいて、すべてのものを共有していました。そして、自分の持ち物や財産を売って、その代金を、必要な人に配っていました。”
使徒言行録4:31-35「彼らが祈ると、集まっていた場所が揺り動かされ、彼らはみな聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語り続けました。さて、信じた者たちは、その人数がすべて心を一つにしており、だれ一人として、自分のものは自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していました。そして、使徒たちは大きな力をもって、主イエスの復活をあかしし、大きな恵みが彼らの上にありました。土地や家を持っている者は、それを売って、その代金を持参して使徒たちの足もとに置き、必要な者に分け与えたからです。”

9) 偽りの証言をしてはなりません。

マタイ7:2-5 「あなたがたの告げるさばきによって、あなたがたもさばかれ、あなたがたの用いる量りによって、あなたがたも量られるからです。なぜ、あなたは兄弟の目にある斑点を見て、自分の目にある丸太に気づかないのですか。また、自分の目には丸太があるのに、どうして兄弟に、『あなたの目から、その斑点を取ってあげましょう』と言えるのですか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り去りなさい。そうすれば、兄弟の目から斑点を取り除くことが、はっきり見えるようになるでしょう。”

第1ヨハネ2:21-22 「私があなたがたに書くのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、知っているからであり、また、どんな嘘も真理から出たものではないからです。イエスがキリストであることを否定する者以外に、だれが偽り者でしょうか。これこそ反キリスト、すなわち父と子を否定する者です。”

1 テモ4:2 “良心が炙り出された嘘つきの不誠実さによって”

10) 貪ってはいけません。

出エジプト記20:17“あなたは隣人の家を欲しがってはならない。また、隣人の妻、男の僕、女の僕、牛、ロバなど、隣人のものを欲しがってはならない。”

ルカ12:15“そして、彼らに言われた、『すべての貪欲に気をつけなさい。

コリ3:5“ですから、あなたがたのうちにある地上のもの、すなわち、性的不品行、不純、情熱、邪悪な欲望、偶像礼拝である貪欲を捨て去りなさい。”
ピリ4:12“私は、低くされることも、豊かになることも知っています。どのような状況にあっても、私は豊かさと飢え、豊かさと必要を直視する秘訣を学びました。”
プロブ30:8“偽りと嘘を私から遠ざけ、貧しさも富も与えず、私に必要な食物で私を養いなさい。”
1テモ6:10“金銭を愛することは、あらゆる悪の根源です。この渇望によって、信仰から離れ、多くの苦しみに身を刺す者がいるからです。” ヘブライ13:5
ヘブライ13:5“金銭を愛することのない生活を保ち、自分の持っているもので満足しなさい。”主は、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われたからです。

F.クリスチャン完成のための神の教会利用

1.教会

1コリント1:2“コリントにある神の教会、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された人々、また、彼らの主であり私たちの主でもある私たちの主イエス・キリストの名を各地で呼び求めるすべての人々へ。”
1コリ12:12“からだは一つでありながら、多くの構成員があり、からだの構成員は皆、多くても一つのからだであるのと同じように、キリストもそうなのです。”
エペソ1:22-23“そして、すべてのものをその足の下に置き、ご自分の体である教会、すなわち、すべてのものをすべて満たす方の満ち満ちた体である教会に、すべてのものを治める頭としてお与えになりました。”

マタイ16:18 “あなたがたに告げます。あなたがたはペテロであり、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建て、地獄の門はこれに打ち勝つことはできない”

創世記22:2 “彼は言った。”あなたの子、すなわち、あなたが愛している一人息子のイサクを連れて、モリヤの地に行き、そこで、わたしがあなたに告げる山の一つで、彼を燔祭としてささげなさい。”

創世記22:13 「アブラハムが目を上げて見ると、見よ、彼のうしろに一頭の雄羊がいて、その角が茂みに捕えられていました。アブラハムは行ってその雄羊を取り、自分の息子の代りに燔祭としてささげた。”

創世記22:14 “そこで、アブラハムはその地の名を『主は備えてくださる』と呼び、今日に至るまで『主の山で備えてくださる』と言われているとおりである。”

創世記22:14 “そこで、アブラハムはその地の名を『主は備えてくださる』と呼び、今日に至るまで『主の山で備えてくださる』と言われているとおりである。”

2クロノ3:1 “それからソロモンはエルサレムのモリヤ山に主の家を建て始めました。”主がその父ダビデに現れた場所であり、ダビデが定めた場所、エブス人オルナンの脱穀場にです。

2 Chron 5:6 “ソロモン王と、彼の前に集まったイスラエルのすべての会衆は、箱舟の前にいて、数えきれないほど多くの羊や牛をいけにえに捧げました。”

ヨハネ2:19 “イエスは彼らに答えられた、『この神殿を滅ぼしなさい。

ヘブル7:25 “その結果、彼は、彼によって神に近づく人々を、とこしえに救うことができるのです。” “彼は、いつも彼らのために執り成しをするために生きておられるのですから。

マタイ16:18 “あなたがたに告げます。あなたがたはペテロであり、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建て、地獄の門はこれに打ち勝つことはできない”

1コリ1:26-28 「兄弟たち、あなたがたの召しについて考えてみましょう。神は、知恵ある者を辱めるために、世にあって愚かな者を選ばれ、強い者を辱めるために、世にあって弱い者を選ばれ、あるものを無に帰すために、世にあって低く軽んじられている者、すなわち、ないものをも選ばれたのです。”

1コリ1:29 “神の御前で人間が誇ることがないように”

1コリ12:18“しかし、それはそれとして、神は御自分が選ばれたとおりに、からだの構成員をそれぞれ整えられたのです。”
1コリ12:27“さて、あなたがたはキリストのからだであり、個々にその構成員です。”
ローマ12:4-5“一つのからだの中に多くの構成員がいて、その構成員がみな同じ働きをしているわけではないのと同じように、私たちも、多数ではありますが、キリストにあって一つのからだであり、個々に一つの構成員なのです。”

エペソ1:22“そして、すべてのものをその足の下に置き、すべてのものの頭として教会にお与えになりました。”
コリ1:18“また、彼は、教会というからだのかしらです。彼は初めであり、死者の中から最初に生まれた者です。”

マタイ16:19“わたしはあなたがたに天の国の鍵を与えよう。あなたがたが地上で縛るものは、すべて天でも縛られ、あなたがたが地上で解くものは、すべて天でも解かれるであろう。”
マタイ18:15-20「もし兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って、あなたと兄弟だけの間で、その非を言いなさい。もし彼があなたの言うことを聞くなら、あなたは兄弟を得たことになります。もし彼が聞き入れないなら、ほかの人を一人か二人連れて行きなさい。もし彼がその人たちの言うことを聞こうとしないなら、そのことを教会に言いなさい。そして、もし彼が教会にさえ耳を貸そうとしないなら、あなたがたは、その人を異邦人、取税人と同じようにしなさい。まことに、あなたがたに言っておくが、あなたがたが地上で縛るものはみな天でも縛られ、あなたがたが地上で解くものはみな天でも解かれるのです。あなたがたにもう一度言いますが、あなたがたのうちの二人が、地上において、何か願いごとについて一致するなら、天におられるわたしの父が、その人たちのためにしてくださいます。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるからです。”

マタイ16:23-24 「しかし、彼は振り返ってペテロに言った、『サタンよ、わたしのうしろに行け!サタンよ。あなたがたは、神のことに心を留めず、人のことに心を留めているからです』。それからイエスは弟子たちに言われた、『だれでもわたしのあとに来たいなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい』」。

ルカ9:23 “そして、すべての人に言われた。”だれでも、わたしの後に来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。”

マタイ7:13-14「狭い門から入りなさい。門は広く、滅びに至る道は易しく、そこから入る者は多い。命に至る門は狭く、道は険しい。
ルカ13:23-24「すると、ある人が彼に言った『主よ、救われる人は少ないのでしょうか』。主よ、救われる人は少ないのでしょうか。多くの人は、入ろうとしても入れないからです。”

ヨハネ15:16 “あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのは、あなたがたが行って実を結び、その実があなたがたにとどまるためである。”

出エジプト記18:17-23「モーセの義父は彼に言った『あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたといっしょにいる民も、必ず疲れ果ててしまうでしょう。あなた一人ではできません。私の声に従いなさい!あなたがたは神の前に民を代表し、彼らの訴えを神に伝え、また、律法と法令について彼らに警告し、彼らが歩むべき道となすべきことを知らせなさい。また、すべての民の中から、神を恐れ、信頼でき、賄賂を憎む有能な人を探し、そのような人を民の上に置き、千人、百人、五十人、十人の長としなさい。そして彼らに、いつでも民を裁かせなさい。どんな大きな問題でも、彼らはあなたがたのところに持って来なさい。そうすれば、あなたがたは楽になり、彼らはあなたがたとともに重荷を負うでしょう。そうすれば、神があなたがたを導かれ、あなたがたは耐えることができ、この民も皆、安らかに自分の所に行くことができる』」。
使徒言行録7:38“この方は、シナイ山で語りかけた御使いとともに荒野の会衆におられた方であり、また、私たちの先祖たちとともにおられた方です。彼は、私たちに与えるために、生きた御告げを受けたのです。”

マルコ3:13-15 「そして、山に登り、御自分の望む者たちを御もとに呼ばれたので、彼らは御もとに来ました。そして、十二人(使徒とも名づけた)を任命して、彼らが自分とともにいるようにし、また、彼らを宣教に遣わし、悪霊を追い出す権威を持たせるようにされました。”

2.霊的指導者

1) 神によって遣わされた霊的指導者

申命記18:18「わたしは彼らのために、彼らの兄弟の中からあなたのような預言者を起こす。そして、わたしはわたしの言葉を彼の口に置き、彼はわたしが命じることをすべて彼らに語るであろう。”
エレ1:9「その時、主は手を差し伸べて、私の口に触れられました。主はわたしに言われた、『見よ、わたしはわたしの言葉をあなたの口に置いた』」。

民数記27:18-23「そこで主はモーセに言われた『ヌンの子ヨシュアを取りなさい。彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせなさい。イスラエルの民のすべての会衆が従うように、あなたは彼にあなたの権威の一部を授けなさい。彼は祭司エレアザルの前に立ち、祭司エレアザルは主の前にウリムのさばきによって彼のことを尋ね求めなさい。その言葉によって、彼らは出て行き、その言葉によって、彼らは入って来なさい。モーセは主が命じられたとおりにしました。彼はヨシュアを連れて行き、祭司エレアザルと全会衆の前に立たせ、主がモーセを通して指示されたように、彼に手を置いて、彼に命じた」。
使徒言行録6:6“これらの者を使徒たちの前に立たせ、祈って手を置いた。”
使徒言行録13:3“それから、断食して祈った後、手を置いて彼らを送り出した。”

ヨハネ3:34 “神が遣わされた者は神の言葉を語り、神は量りなく御霊をお与えになるからです。”

ヨハネ6:38-40 「私が天から下って来たのは、私自身の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の意志を行うためです。わたしをお遣わしになった方の御心、それは、その方がわたしにお与えになったすべてのものを、わたしが何一つ失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。子を見て信じる者がみな永遠の命を得、わたしが終わりの日にその人をよみがえらせること、これがわたしの父の御心だからです。”

ヨハネ7:16-18 「そこでイエスは彼らに答えられた『私の教えは私のものではなく、私をお遣わしになった方のものです。もし、だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人は、その教えが神からのものか、それとも私が自分の権威で語っているのかを知るでしょう。自分の権威で語る者は自分の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であり、その方には偽りがない』」。

使徒言行録6:4 “しかし、私たちは祈りとみことばの働きに専念します。”

ルカ16:15「そして彼らに言われた『あなたがたは人の前で自分を正当化する者ですが、神はあなたがたの心を知っておられます。人の間で高められるものは、神の目には忌むべきものだからです』」。

マタイ20:25-28「しかし、イエスは彼らを呼び寄せて言われた『あなたがたは、異邦人の支配者たちが彼らを支配し、彼らの大いなる者が彼らを支配しているのを知っている。あなたがたの間では、そのようであってはなりません。あなたがたの中で偉くなろうとする者は、あなたがたの僕となり、あなたがたの中で一番になろうとする者は、あなたがたの奴隷とならなければなりません。
テトス1:6-9「だれでも、非難を免れ、一人の妻の夫であり、その子供たちは信者であって、放蕩や不服従の罪に問われることがありません。神の執事である監督は、非難されることのない者でなければなりません。傲慢であってはならず、短気であってはならず、酒飲みであってはならず、乱暴であってはならず、利得に貪欲であってはなりません。また、正しい教理を教え、それに反する者を戒めることができるように、教えられた信頼できるみことばを堅く守っていなければなりません。”

1ペテロ5:2-3 「あなたがたのうちにいる神の群れを牧し、強制されたのではなく、神が望まれるように、進んで監督し、恥ずべき利益のためではなく、熱心に、自分の担当者を支配するのではなく、群れの模範となるようにしなさい。”

ルカ10:19 “見よ、わたしはあなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。”

マタイ10:16 “見よ、わたしはあなたがたを狼の中に羊として送り出すのだから、蛇のように賢く、鳩のように純真になりなさい。”

使徒言行録20:28 “聖霊が、ご自分の血をもって得た神の教会を世話するために、あなたがたを監督者としてくださったのですから、自分自身とすべての群れに注意しなさい。”

2コリ5:20 「ですから、私たちはキリストの使者であり、神が私たちを通して訴えておられるのです。キリストに代わって、神と和解してください。”

出エジプト32:32“しかし今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら、しかし、そうでないなら、どうか、あなたの書かれた書物から私を消し去ってください。”
ローマ9:3“私は、肉による同胞である兄弟たちのために、私自身がのろわれ、キリストから切り離されることを望みます。”

マタイ10:40 “あなたがたを受け入れる者は、私を受け入れ、私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのです。”

ルカ10:16 “あなたがたを聞く者は私を聞き、あなたがたを拒む者は私を拒み、私を拒む者は私をお遣わしになった方を拒むのです。”

第1ヨハネ4:5-6 「彼らは世から来た者です。ですから、彼らは世から語り、世は彼らに耳を傾けます。私たちは神から来た者です。神を知る者はだれでも、私たちの言うことを聞き、神でない者はだれでも、私たちの言うことを聞きません。このことによって、私たちは真理の霊と誤りの霊とを知るのです」。

ガラ6:6“みことばを教わる者は、教える者とすべての良いことを分かち合いなさい。”
ヘブライ13:17“あなたがたの指導者に従い、服従しなさい。彼らは、あなたがたの魂を見張っているのであって、あなたがたに責任を負わせる者だからです。あなた方にとって何の益にもならないからです。”

1コリ4:15-16 「あなたがたには、キリストにあって無数の導き手がありますが、多くの父がいるわけではありません。わたしは福音によって、キリスト・イエスにあってあなたがたの父となったのです。だから、あなたがたは、わたしに倣う者となりなさい。”

ルカ23:2“彼らは彼を非難し始めた。”私たちは、この人が私たちの国を惑わし、カイザルに貢ぎ物をすることを禁じ、自分こそキリストであり、王であると言っているのを見つけたのです”。
ヨハネ19:12「そのときから、ピラトは彼を釈放しようとしたが、ユダヤ人たちは叫んだ『この人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とする者は皆、カイザルに逆らうのです』」。

2) 霊的成長を妨げる悪魔の手口

マタイ25:24「一タラントを受けた者も進み出て言った、『ご主人さま、あなたは、蒔かない所から刈り取り、種を散らさない所から集める、きびしい方だと知っていました』」。
ガラ6:7「惑わされてはなりません:神はあざけられません。”

1コリ11:10“だから、天使たちのために、妻は頭に権威の象徴をつけなければならないのです。”
マルコ3:25-27「また、家が自分自身に対して分裂しているなら、その家は立つことができません。また、サタンが自分自身に逆らって立ち上がり、分裂しているなら、彼は立つことができず、終わりに近づいています。しかし、まず強い人を縛らなければ、だれも強い人の家に入って、その財を略奪することはできません。そうすれば、本当にその家から略奪することができます。”

創世記3:1「さて、蛇は、神である主が造られた野のどの獣よりも狡猾でした。彼は女に言った、『神は本当に、「あなたは園のどの木からも食べてはならない」と言われたのですか。”

ゼカ3:1“それから彼は、大祭司ヨシュアが主の御使いの前に立ち、サタンがその右手に立って彼を責めるのを私に見せました。”
ヨブ記1:9“するとサタンは主に答えて言った。”ヨブは理由もなく神を恐れるのか。”

出エジプト記16:8 ” モーセは言った、『主が夕べに肉を食べさせ、朝にパンを満腹されるのは、主があなたがたの不平を聞かれたからです。あなたがたの不平は、私たちに対してではなく、主に対してである』」。

民数記16:1-2「さて、レビの子コハテの子イズハルの子コラと、エリアブの子ダタンとアビラムと、ルベンの子ペレテの子オンとは、人を取りました。彼らはモーセの前に立ち上がり、イスラエルの民の数、250人の会衆の長、集会から選ばれた、よく知られた者たちと共に。”

民数記14:33-34「あなたの子らは四十年の間、荒れ野で羊飼いとなり、あなたがたの最後の死体が荒れ野に横たわるまで、あなたがたの信仰のなさのために苦しみを受けなければならない。あなたがたは、その地を見張った日数に応じて、四十日、一日ごとに一年、四十年間、自分の咎を負い、わたしの不興を知るであろう。”

ヤコブ4:11-12 「兄弟たち、互いに悪口を言ってはなりません。兄弟に対して悪口を言ったり、兄弟をさばいたりする者は、律法に対して悪口を言い、律法をさばく者です。しかし、もし律法を裁くなら、あなたは律法を行う者ではなく、裁く者です。律法の制定者であり裁判官である方はただひとり、救うことも滅ぼすこともできる方です。救うことも滅ぼすこともできる方です。

1コリ10:10 “また、ある人たちがそうして破壊者に滅ぼされたように、不平を言うこともありません。”

3) 偽のリーダー

マタイ7:15-20「偽預言者に気をつけなさい。偽預言者は、羊のふりをしてあなたがたのところへやって来ますが、内心は貪欲な狼です。あなたがたは、その実によって彼らを見分けることができます。いばらの木からぶどうが採れるのか、それとも、あざみの木からいちじくが採れるのか。健康な木はみな良い実を結びますが、病気の木は悪い実を結びます。健康な木は悪い実を結ぶことができず、病気の木は良い実を結ぶことができません。良い実を結ばない木はすべて切り倒され、火に投げ込まれます。こうして、あなたがたはその実によって見分けるのです。”

マタイ7:21-23 「『主よ、主よ』とわたしに言う者が皆、天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。その日、多くの人がわたしに言うでしょう、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざをしたではありませんか。そのとき、わたしは彼らに、『わたしは、あなたがたを知らなかった。

テサロニケ2:9-10“律法なき者の到来は、サタンがあらゆる力と偽りのしるしと不思議をもって、滅び行く人々を惑わす働きによるものです。”
マタイ24:24-25「偽キリストと偽預言者が現れ、大いなるしるしと不思議を行なって、できれば選民をも迷わせようとするからです。わたしは前もって言っておいたからです。”

2テサ2:12 “真理を信じず、不義を楽しむ者たちが、みな断罪されるためです。”

申命記13:3 「あなたは、その預言者や夢を見る者の言葉に耳を傾けてはなりません。あなたの神、主は、あなたが心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛しているかどうかを知るために、あなたを試されるからです。”

コリ2:18-19 “禁欲主義や天使礼拝を主張し、幻について事細かに語り、自分の感覚的な心によって理性なく膨れ上がり、神から出た成長によって、関節と靭帯によって養われ、結び合わされている体全体が成長する、頭である御者に忠実でない者は、だれもあなたがたを不適格にしてはなりません。”

2ペテロ2:1“しかし、偽預言者たちもまた、人々の間に生じました。ちょうど、あなたがたの中にも偽教師が現れ、ひそかに破壊的な異端を持ち込み、自分たちを買ってくださった主人をも否定して、すみやかな滅びをもたらします。”
2ペテロ2:10「特に、不潔な情欲にふけり、権威を軽んじる者たちです。大胆で意志的な彼らは、栄光ある方を冒涜しても、おののきません。”

テトス3:9-10 「しかし、愚かな論争、系図、争い、律法についてのいさかいは、益にならず、無価値ですから避けなさい。分裂をあおる者については、一度警告し、二度警告した後は、その人とはもう何も関わりを持ちません。”

4) 大臣の姿勢

ローマ12:3“私に与えられた恵みによって、あなたがたの中のすべての人に言います。” “自分のことを必要以上に高く思わないで、神から与えられた信仰の量りに従って、それぞれ冷静な判断力をもって考えなさい。”
1コリ4:6“兄弟たち、あなたがたのために、わたしとアポロとがこれらのことをすべて申しあげたのは、書いてあることを越えてはならないことを、わたしたちから学ぶためであり、あなたがたのだれもが、互いに好意を抱いて高ぶることがないようにするためです。”

マルコ6:30 “使徒たちはイエスのもとに戻り、自分たちがしたこと、教えたことをすべて告げました。”

2テモ2:2 “また、あなたがたは、多くの証人の前で私から聞いたことを、忠実な人々に託しています。”

ピリ3:17 “兄弟たち、一緒になってわたしに倣い、あなたがたがわたしたちのうちに持っている模範に従って歩む人たちから目を離さないでください。”

ピリ3:18-19 「わたしがあなたがたにしばしば言い、今も涙ながらに言っている多くの人々は、キリストの十字架を敵視して歩んでいます。彼らの終末は滅びであり、彼らの神は腹であり、地上のことに心を向けて、恥を栄えているのです。”

ヘブライ10:24-25 “また、ある人々の習慣のように、集まることを怠ることなく、互いに励まし合いながら、愛と善い行いとに互いに励まし合うにはどうしたらよいかを考えようではありませんか。” “日が近づくにつれて、なおさらです。”

使徒言行録2:46-47 「彼らは日ごとに、共に神殿に通い、家でパンを裂きながら、喜んで食事を受け、神を賛美し、すべての人々に好意を抱いていました。主は、日に日に救われる人々を彼らの数に加えられました。”

3.省

マタイ4:23 “そして、ガリラヤ全土を巡り歩いて、彼らの会堂で教え、王国の福音を宣べ伝え、人々のあらゆる病気と患いをいやされた。”

ヨハネ21:15-17「彼らが朝食を食べ終わると、イエスはシモン・ペテロに言われた『ヨハネの子シモンよ、あなたはこれらの者よりもわたしを愛しているか』。わたしの子羊を養いなさい』と言われました。ヨハネの子シモンよ、わたしを愛しているか』。私の羊を飼いなさい』。ヨハネの子シモン、わたしを愛しているのか』。ペテロは、三度目に『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しんだのです。イエスは彼に言われた、『わたしの羊を養いなさい』」。
マタイ28:19-20「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子とし、父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。そして、見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。”

1コリ12:11 “これらの者は皆、同じ御霊によって力づけられ、御霊は御心に適うように一人一人に配分してくださいます。”

1コリ12:7 “共通の益のために、それぞれに御霊の顕現が与えられています。”

1コリ14:26 「では、兄弟たちよ。あなたがたは集まるとき、それぞれ賛美歌、教訓、啓示、舌、あるいは解釈を持っています。すべてのことが建て上げるために行われるようにしなさい。”

1ペテロ5:1“ですから、わたしは、同じ長老として、また、キリストの苦しみの証人として、また、やがて現される栄光にあずかる者として、あなたがたの中の長老たちに勧めます。”
3ヨハネ1:1“長老は、わたしが真実に愛している愛するガイオに”

使徒言行録7:2-56“ステパノはイスラエルの歴史と神の働きについて詳しく教え、サンヒドリンの前で福音を弁護することになりました。”
使徒8:30-39“フィリポはエチオピアの宦官に聖書を説明し、イエスの福音を伝えた後、洗礼を授けました。”

4.ヒーリング

イザ53:5“しかし、彼は私たちの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれました。” “彼の上には、私たちに平和をもたらす懲らしめがあり、彼の傷によって私たちはいやされました。”
1ペテロ2:24“私たちが罪に対して死に、義に対して生きるために、御自身がその身に私たちの罪を負われ、木にかけられました。その傷によって、あなたがたはいやされたのです。”

マタイ8:17 「これは、預言者イザヤによって語られたことが成就するためでした:私たちの病を負い、私たちの病を負われたのです。”

詩篇103:3 “あなたの咎をすべて赦し、あなたの病をすべていやされる方”

詩篇107:20 “主は御言葉を発して彼らをいやし、滅びから救い出された”

マラキ4:2 「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたのためには、義の太陽がその翼に癒しを宿して昇ります。あなたがたは、子牛が小屋から躍り出るように、躍り出る。”

箴言4:20-22 「わが子よ、私の言葉に注意し、私の言葉に耳を傾けなさい。わたしの言葉に耳を傾けなさい。それは、それを見いだす者のいのちであり、すべての肉のいやしだからです。”

出エジプト記23:25-26 「あなたがたは、あなたがたの神、主に仕えなさい。わたしはあなたがたの日数を全うする。”

使徒言行録10:38「神がナザレのイエスに聖霊と力を注がれたのは。彼は、神が共におられたので、悪魔に苦しめられているすべての人をいやし、善を行なって回られたのです。”

ヤコブ5:14-16 「あなたがたの中に病気の人がいますか。その人は、教会の長老たちを呼んで、主の名によって油を注いで祈らせなさい。信仰の祈りは病人を救い、主はその人をよみがえらせます。また、その人が罪を犯したとしても、赦されます。ですから、互いに罪を告白し合い、いやされるように祈り合いなさい。正しい人の祈りは、働いているうちに大きな力を持つのです。”

5.家庭を教会として

使徒12:12(ヨハネ・マルコの母マリア)
使徒の働き16:40(リディア)
ピレモン1:2(アッフィヤとアルキッポス)
コロサイ4:15(ニンファ)
1コリント16:15、19(ステパナス、プリスキラとアキラ)

創世記2:24“それゆえ、人はその父と母とを離れ、妻を堅く結び、ふたりは肉となる”
エペソ5:31“それゆえ、人はその父と母とを離れ、その妻を堅く結び、ふたりは一つの肉となるのです。”

エペソ5:31-32 「ですから、人はその父と母とを離れ、妻を堅く結び、二人は一つの肉となるのです。この神秘は奥深く、キリストと教会を指して言っているのです。”

マラキ2:14-15「彼女はあなたの伴侶であり、契約によってあなたの妻であるにもかかわらず、主はあなたと、あなたが不実であった若い時の妻との間の証人であったからです。主は、二人の結びつきの中に御霊の分霊をもって、二人を一つにされたのではありませんか。神は何を求めておられたのでしょうか。神の子孫です。だから、あなたがたは、霊において自らを守り、だれひとり、若いころの妻に不誠実であってはなりません。”

エペソ5:19-20 “詩編と賛美歌と霊的な歌とをもって互いに語り合い、心をこめて歌い、主にメロディーを奏で、私たちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神にいつも感謝し、すべてのことに感謝しなさい。”

エペソ5:22-24 「妻たちよ、主と同じように、自分の夫に服従しなさい。キリストがご自分の体である教会のかしらであり、ご自分もその救い主であるように、夫は妻のかしらだからです。教会がキリストに服従するように、妻も夫にすべて服従しなさい。”

エペソ5:25-30「夫たちよ、キリストが教会を愛し、そのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。同じように、夫は妻を自分のからだのように愛しなさい。妻を愛する者は、自分自身を愛するのです。キリストが教会を愛しておられるように、私たちもキリストのからだの一部なのですから。”
第一ペテロ3:7“同じように、夫たちよ、あなたがたの祈りが妨げられないように、あなたがたの妻とは、共にいのちの恵みを受け継ぐ者なのですから、弱い器である女性を敬い、理解ある態度で一緒に暮らしなさい。”

エペソ6:1-3「子供たちよ、主にあって両親に従いなさい。あなたがたの父と母を敬いなさい』(これは約束のある最初の戒めです)。

エペソ6:4“父たちよ、子供たちを怒らせてはなりません。” “主の訓練と教えのうちに彼らを育てなさい。”
申命記6:5-7「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。わたしが今日あなたに命じるこれらの言葉を、あなたの心に刻みなさい。あなたがたの子らに熱心に教え、家にいるとき、道を歩くとき、寝るとき、起きるときに、これらのことを話しなさい。”

エペソ5:32“この神秘は奥深いもので、キリストと教会を指して言っているのです。”
使徒16:31“そして彼らは言った。”主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。”

6.キリストの再臨と肉体の復活

テトス2:13“私たちの祝福された望み、すなわち、私たちの偉大な神であり救い主であるイエス・キリストの栄光が現れるのを待ち望んでいます。”
1ペテロ1:7“そうすれば、あなたがたの信仰の真偽が試され、火で試されても滅びる金よりも尊く、イエス・キリストの啓示のときに、賛美と 栄光と 誉れとに結びつくことがわかります。”

1コリント15:23 「しかし、それぞれ自分の順序に従います:キリストは初穂であり、キリストに属する者たちは、キリストが来られるときに初穂となります。”

1コリント15:49 “私たちがちりの人の姿を負ったように、私たちもまた、天の人の姿を負わなければなりません。”

ルカ24:38-39 「そして、彼らに言われた『なぜ、あなたがたは悩み、心に疑いが生じるのか。わたしの手と足を見なさい。わたしに触れて見なさい。霊は、あなたがたが見るように、わたしが持っている肉と骨を持っていないからです』」。

1コリント15:44 「蒔かれたのは自然な体であり、よみがえったのは霊的な体です。自然の体があれば、霊の体もあります。”

ヨハネ20:19 “週の初めのその日の夕方、ユダヤ人を恐れて弟子たちのいる戸には鍵がかかっていたので、イエスは来て彼らの間に立ち、彼らに言われた。”あなたがたに平和があるように”。

マルコ16:12 “これらのことの後、イエスは、田舎に向かって歩いていた二人に、別の姿で現れました。”

マタイ24:12“そして、無法が増すので、多くの人の愛は冷めてしまいます。”

イザヤ41:10 “恐れるな、わたしはあなたとともにいる。

第2ペテロ3:9“主は、ある人たちが遅いと思うように、約束の成就に遅い方ではなく、あなたがたに対して忍耐強く、一人でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに達することを願っておられます。”

1テサロニケ4:16-17「主ご自身が、大天使の声と神のラッパの音とをもって、指揮の叫びをあげて天から降られるからです。そして、キリストにあって死んだ者がまずよみがえります。それから、生きている私たち、残された者たちは、空中で主と出会うために、彼らとともに雲に巻き込まれ、いつも主とともにいるのです。”
マタイ24:30-31“そのとき、天に人の子のしるしが現れ、地のすべての部族が嘆き悲しみ、人の子が力と大いなる栄光をもって天の雲に乗って来るのを見るでしょう。そして、大きなラッパを鳴らして御使いたちを遣わし、四方の風から、天の端から端まで、その選民を集めるでしょう。”

2ペテロ3:10-14 「しかし、盗人のように主の日が来ると、天は唸り声をあげて過ぎ去り、天体は燃え尽きて溶け、地とその上で行われている業とはあらわになります。このように、これらすべてのものが溶かされるのですから、あなたがたは、どのような者であるべきか、聖さと敬虔さに満ちた生活をして、天が燃えて溶かされ、天体が燃えて溶ける神の日の到来を待ち望み、待ち望む者でありたいのです!しかし、神の約束によれば、私たちは、義の住まう新しい天と新しい地を待ち望んでいるのです。ですから、愛する者たち、あなたがたはこれらを待ち望んでいるのですから、しみも傷もなく、平安のうちに、この方に見いだされるように努めなさい。”

ヨハネの黙示録22:20 「これらのことを証言する者は言う、『確かに、わたしは間もなく来る』。アーメン。主イエスよ、来てください。”