証人の証言と証拠
1ヨハネ5:9-11。
ハレルヤ!今日、主を礼拝するすべての人の上に、主の恵みと平安と憐れみがありますように。証人の証言に基づくメッセージを皆さんと分かち合いたいと思います。それは、あなたが信仰に堅く立つためです。
証言とは、あなたが個人的に目撃した何かや誰かについて、真実を語ることです。私たちが証言するときは、私たちの言っていることが真実であることを保証するために、正確で信頼できる証拠に基づいていなければなりません。もしその証言が偽りであれば、法的、道徳的、霊的な責任が生じます。今日、私が証しするのはイエス・キリストです。イエスがどのようなお方であるかという証拠は聖書の中にあります。しかし、この証しに対する私の確信は、私の内におられる聖霊の証しによるものです。聖書から得られる証拠はあなたに示すことができますが、私の人生を通して証しするのは、私の内におられる聖霊なのです。
旧約聖書には、キリストの誕生、キリストの死、キリストの復活に関する多くの記録があります。これが、私たちがイエスがキリストであると証言する理由です。律法では、二、三人の証人の証言でも真理を立証するには十分ですが、福音書には無数の証言があります。ですから、私たちはイエスがキリストであるという主張が人間によって捏造された物語ではないことを知ることができるのです。しかし、圧倒的な証拠があるにもかかわらず、聖霊が真理を啓示しない限り、人々はまだ信じようとしません。
今日は、使徒たちがイエスについてどのように証言したかを分かち合いたいと思います。新約聖書を通して、イエスについての証言は一貫しています。彼らの証言は、イエスが誰であるか、イエスの死と復活、そしてイエスの再臨について語っています。聖霊が私たちにキリストの真理を啓示し、私たちの生活を通して、私たちもキリストの恵みと真理を証しすることができることを信じて、この証しに堅く立ちましょう。
1) 使徒たちは一貫してイエスが誰であるかを証言しています。使徒たちは、イエスが旧約聖書に預言されているキリストであることを証言しました。ペンテコステの日のペテロの説教の中で、彼は「神は、あなたがたが十字架につけたこのイエスを、主とし、またメシアとされた」(使徒2:36)と宣言し、イエス・キリストがダビデの血筋から出たことを強調しました。これは、イザヤ書53章と詩篇110篇に記されているメシア預言と一致しています。
使徒たちもまた、イエスが神の子であることを証言しました。ヨハネによる福音書20章31節には、ヨハネによる福音書の目的が述べられています:”これらは、イエスが神の子メシアであることを、あなたがたが信じるために書かれたのです。”さらに、マタイによる福音書16章16節では、ペテロが “あなたはメシア、生ける神の子です “と告白しています。パウロもまた、イエスを「神の子」(ローマ1:3-4)と紹介し、その神としてのアイデンティティーを強調しています。
使徒たちは、イエスが人類の救い主であることを証しました。使徒言行録4章12節で、彼らはこう宣言しています。”救いは、ほかのだれにもありません。これは、イエスが人類を罪から救うために来られた唯一の救い主であることを強調しています。
使徒たちもまた、イエスの死が人類の罪を贖う犠牲的行為であったことを証言しています。パウロはコリントの信徒への手紙一15章3節で「キリストは、聖書に従って、私たちの罪のために死なれました」と書き、イエスの死が旧約聖書の預言を成就したことを強調しました。ペテロも同様に、イエスの苦しみと死が私たちの罪のためであったことを強調し(1ペテロ2:24)、イエスの死が贖罪行為であったことを証言しています。
イエスの復活は使徒たちの証言の中心的要素です。使徒言行録2章32節で、ペテロは「神はこのイエスをよみがえらせ、私たちは皆その証人です」と宣言し、イエスの復活が彼らの説教の中心であることを明らかにしています。パウロは、イエスの復活がキリスト教信仰の基礎であることを強調し(1コリント15:14-17)、復活がなければ信仰は無意味であると主張しました。
使徒言行録1:3には、イエスは復活後40日間にわたって使徒たちに現れ、復活の多くの説得力のある証拠を示したと記録されています。さらにパウロは、復活したキリストを見た目撃者を列挙し(1コリント15:5-8)、彼らの証言が信頼に足るものであると主張しています。
使徒たちのこの一貫した証言は、イエス・キリストが旧約聖書に預言されたメシアであり、神の子であり、人類の救い主であることを確証するものでした。彼らの証言は私たちの信仰の基礎となっており、今日でも大きな価値を持ち続けています。
2) 使徒たちはイエス・キリストの教えと働きについて一貫して証言しました。イエスは神の国の福音を宣べ伝え、使徒たちはこのメッセージを伝え続けました。マタイによる福音書28:19-20で、イエスは使徒たちに、行ってすべての国の人々を弟子とし、イエスの教えられたことにすべて従うように教えなさいと命じられました。使徒言行録とパウロの手紙は、使徒たちがこの使命を忠実に遂行し、イエスの教えに従って福音を宣べ伝え、神の国を宣べ伝えたことを示しています。
イエスの教えの中心は神の愛と恵みであり、使徒たちは一貫してこのメッセージを証ししました。ヨハネによる福音書13章34節で、イエスは “わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい “と命じました。パウロは第一コリント13章で、愛の重要性を強調しています。同様に、ヨハネは神の愛を中心とした生活の重要性を説き続けました(第1ヨハネ4:7-21)。この一貫した証言は、愛と恵みと神の国に根ざしたイエスの教えを広めることに使徒たちが献身していたことを浮き彫りにしています。
3) 使徒たちは、イエス・キリストの再臨が確かな約束であることを証言しました。使徒言行録1:11で、天使たちは使徒たちに、「あなたがたのところから天に召されたこの同じイエスが、あなたがたの見たのと同じように、天に帰って来られます。パウロは第1テサロニケ4:16-17で、イエスの再臨は死者の復活と生者の変容を伴うと説明しています。
使徒たちは、イエスの再臨に備えるよう信者に頻繁に警告しています。第二ペテロ3:10-12でペテロは、イエスの再臨は盗人のようにやってくると述べ、信者たちに聖なる、神にかなった生活を送るよう促しています。これは、使徒たちがイエスの再臨を中心とした神の国への希望を教えていたことを示しています。
このように、イエスについての使徒たちの証言は一貫して、イエスが誰であるかを宣言し、イエスの死と復活を通して、イエスがキリストであることを断言しています。彼らはまた、イエスの再臨についての明確で一貫したメッセージを提供しました。この証言は、イエス・キリストについての統一された理解と解釈を提供します。使徒たちの証言はキリスト教信仰の基礎を形成し、イエス・キリストに従う信仰共同体に信頼と保証を与えます。
この証言に関して、聖書を簡単に調べました。旧約聖書と新約聖書を通して,イエス・キリストの誕生,死,復活,再臨に関する預言が福音書で予告されたとおりに成就したことを示す,否定できない無数の証拠が見つかります。使徒たちの証言は、彼らが見聞きしたことの実体験に基づくもので、複数の証人の間で驚くべき一貫性が見られます。この一貫性は、イエスの誕生、死、復活、帰還の出来事が巧妙にでっち上げられた物語ではないことを裏付けています。
水と聖霊によって生まれ変わった後、私は聖書に記されている証言と証拠を心から信じるようになりました。この確信は、聖霊の確認によってもたらされます。聖霊は、イエスが水と血によって来られたことを証言しておられます。イエスがバプテスマを受けて水から上がると、天からの声がしました。十字架の上で、イエスは私たちのために命を与える血を流されました。この真理が心に深く響くためには、聖霊がその心に入る必要があります。聖霊はイエスについて証しする御霊であり、聖書の証しやイエスの生涯の証拠を、私たちにとって現実的で意味のあるものにしてくださいます。私たちが皆、この聖霊に満たされますように、主の御名によって祝福します。
今日のメッセージの結論です。親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日、私たちはイエス・キリストについての使徒たちの証言を通して、真理の奥深さを探ってきました。彼らの証言は単なる歴史的記録や人間の推論によって作り上げられた物語ではなく、神ご自身が画策し、成就された神の贖いの計画の証拠です。イエス・キリストの誕生、死、復活、再臨は多くの預言と一致しており、その中心には神の救いの計画があります。
しかし、最も重要なのは、聖霊が私たちの心の中でこの証を保証してくださることです。聖霊の働きがなければ、この真理はすべて単なる知識のままです。しかし、聖霊が私たちの上に臨まれるとき、私たちはイエス・キリストと個人的に真に出会うことができるのです。この真理は、私たちの人生において現実のものとなり、体験的なものとなるのです。
使徒たちはイエスを見、聞き、触れ、彼らの人生はイエスの生きた証でした。彼らの証を通して、私たちは信仰の岩の上にしっかりと立つことができるのです。今日、私たちも同じ聖霊に導かれて、イエスをより深く知り、イエスが生きておられることを確信したいと思います。皆さん一人ひとりがイエス・キリストの証人となることを祈ります。私たちの人生がイエスを証しし、イエスの愛と救いの福音が私たちの言葉と行動を通して輝きますように。皆さん一人ひとりが聖霊に満たされ、神の栄光のために用いられる人生を送ることができますように。共に祈りましょう。